文=鷹橋 忍
大貴族バトラー家の居城
厳しい暑さが続くが、ビールが美味しい季節でもある。
そこで今回は、かつて修道院でビールを製造していたという歴史をもち、アイリッシュ・パブなどナイトライフの華やかさでも知られる、アイルラインドのキルケニーに建つキルケニー城をご紹介しよう。
キルケニーは、アイルランド南東部に位置するキルケニー県の古都である。12世紀にアングロ・ノルマン(イギリス系支配層)が侵攻してくるまでは、オソリー王国の首都であった。
中世の面影を色濃く残し、アイルランドの「きれいな街コンテスト」において、2年連続で優勝に輝いたこともある美しい街である。
キルケニー城は、その美しい街の高台に建ち、街を流れるノア川を見下ろす石造りの名城だ。
キルケニー城の歴史は、12世紀にまで遡る。前身は、イングランドのアイルランド征服の基礎を作り、「ストロングボウ(強弓)」の異名で知られるペンブルック伯(1130頃~1176)、あるいは、彼の娘婿のウィリアム・マーシャル伯爵が建てた要塞だといわれる。
その後、1391年に第3代オーモンド伯ジェームス・バトラー(1360~1405)が買い取り、約600年の間、バトラー家が所有した。
バトラー家とは、アングロ・ノルマンの大貴族である。プランタジネット朝初代のイングランド王ヘンリー2世(1133~1189 在位1154~1189)より、アイルランドの所領と王室厨房長官(バトラー)を世襲職として授かり,バトラーの職名を家名としたという。
第2代オーモンド伯ジェームズ(1331~82)以後、子孫たちはアイルランドの司法長官、総督などの要職につき、絶大な勢力を誇った(ブリタニカ国際大百科事典)。
バトラー家は基本的にイギリス王室に忠実であったとされるが、城のガイドツアーでは、飢饉の際には減税や免除も行ったというエピソードも語られている。
キルケニー城は1967年、第6代オーモンド候ジェームズ・アーサー・ノーマン・バトラー(1893–〜971)によって、キルケニー城修復委員会に50ポンドで売却され、その後、キルケニー市の管理下に置かれた。
現在の城は19世紀に改築されたものである。ヴィクトリア朝風の装飾を施された城内には、豪華な調度品に囲まれた客間や寝室、書斎などが残り、バトラー家代々の肖像画が展示され、大貴族バトラーの栄枯盛衰を感じさせる。
広大な庭園は無料で開放され、市民の憩いの場となっている。
悪名高きキルケニー法の成立の舞台にも
キルケニー法をご存じだろうか。キルケニー法は1366年に成立した、アイルランド人やその文化との接触を断つことにより、イングランド系の間にイングランド文化を維持させることを主旨とする法律だ。
具体的には、アングロ・ノルマンに、アイルランド語の使用や、アイルランド人との婚姻や里子教育、アイルランドの服装、習慣を採り入れることなどを厳禁とし、くわえて、アイルランド人の城壁内での居住も禁じた。
この悪名高き法律は、キルケニー城で開かれた議会で可決している。バトラー家の全盛時代、キルケニーは幾度も議会の舞台となっていたのだ。
また、キルケニー城の厩 は1963年に「キルケニー・デザイン・センター」に生まれ変わっている。
当時のアイルランド輸出庁の最高責任者ウィリアム・ウォルシュが、アイルランドの工芸品のデザインのレベルを上げるため、キルケニー城の厩をキルケニー・デザイン・センターに造り替え、スカンジナビア、イギリス、スコットランド、スイス、アメリカから専門家を招いて、キルケニー・デザイン・ワークショップ(KDW)を立ち上げた。
KDWの工芸品はいくつもの賞に輝き、国際的にも高い評価を得ており、キルケニー・デザイン・センターのショップをはじめ、アイルランドの各地で購入できるという。(『妖精の棲む島 アイルランド』渡辺洋子)
魔女とキルケニー・キャット
最後にキルケニーの街をご紹介しよう。
アイルランドはどんな小さな村にも数件のパブがあるというが、キルケニーにもたくさんのパブが軒を連ねている。
そのなかでも「名物パブ」と言われるのが、「キテラーズ・イン」である。
グレードの高い食事と音楽の生演奏で人気を博しているこのパブは、キルケニーで最も古いとされる14世紀の石造りの建物を利用している。
14世紀にこの建物に住んでいたのが、魔女裁判にかけられたアリス・キテラーであった。アリスは家柄もよく、聡く美しくキルケニーの街では注目の的だったという。
アリスは4度も裕福な男性と結婚したが、夫たちはすべて謎の死を遂げ、アリスは夫と死別するたびに、巨額の遺産を手に入れていた。そのため、魔法で夫たちを殺害したと疑われ、魔女裁判で火あぶりの刑が宣告された。
ところが、アリスはまんまとイングランドに逃亡してしまい、代わりに彼女のメイドが火あぶりの刑に処せられたという。
もうひとつ、キルケニーでよく知られているのは、「猫」である。
キルケニーの街を歩くと、たくさんの猫の看板の出会う。先に述べた「キテラーズ・イン」の看板にも黒猫が描かれている。
マザーグースの詩に、キルケニーの二匹の猫が戦い、二匹ともいなくなってしまうという詩があるが、それがキルケニーと猫の縁の由来だという。
キルケニーでは古くからビール醸造が盛んで、街の名を冠した銘柄もある。
コロナウィルスとの戦いはまだ続きそうだが、何の気兼ねもなくキルケニー城を訪れ、アイリッシュ・パブで、アイリッシュ・ビールを片手にアイリッシュ音楽に耳を傾けられる日が早く来ることを、願うばかりである。