文=鷹橋 忍

フレデリクスボー城 写真=PantherMedia/イメージマート

北欧最大のルネッサンス様式の城

 個人的に、コロナが終結したら真っ先に訪れたいと思っているのが、今回ご紹介するデンマークのフレデリクスボー城である。

 フレデリクスボー城は、ヒレロズ(首都コペンハーゲンの北西)のパラス湖に佇む水城だ。湖に浮かぶ三つの小島に、横たわるように建てられている。城は湖で囲まれ対岸にフランスの造園に倣ったとされるバロック様式の庭園が広がる。

 城壁の赤い煉瓦と緑青の屋根が見事な色彩のハーモニーを織りなし、「デンマークで最も美しい城」とも称される。その規模も、現存するルネサンス様式の城としては、北欧最大である。

 フレデリクスボー城は伝統と歴史も、デンマーク随一といわれる。

 その歴史は、当時のデンマーク王フレデリク2世(1534~1588 在位1559~1588)が16世紀中頃に貴族から買い取った城を、1560年に改築したのが始まりと伝わる。城の名前も、このフレデリク2世に由来する。だが、フレデリク2世の時代の建築物は、現在、ごく一部しか残っていない。

 現存する城郭のほとんどが築かれたのは、フレデリク2世の子・クリスチャン4世(1577~1648 在位1588~1648年)の時代である。クリスチャン4世は日本ではそれほど知られていないかもしれないが、デンマークでは国民的英雄であり、国歌にも登場する。商工業の育成海外進出の援助首都クリスチャニア(現オスロ)建設などの、数々の業績を挙げた。

 クリスチャン4世はフレデリクスボー城で生まれたせいか、この城には対して並々ならぬ愛着があったようだ。25歳となった1602年、それまであった中心城郭を取り壊し、代わりにオランダ人建築家に命じて、宮殿城郭を建設させた。城は、19年におよぶ大工事の末、1620年に完成をみた。

 クリスチャン4世はこの城以外にも、著名な建築物を生み出しており、フレデリクスボー城にみられるようなオランダ・ルネサンス風様式の建築物は、「クリスチャン4世様式」と呼ばれている。

 クリスチャン4世の死後も、フレデリクスボー城は長い間、王室の住居として使用された。1660年~1840年の200年近くの間は王家の戴冠式など公式行事の舞台となる。また、国王一家のコレクションの保管庫としての役割も担っていた。

 ところが、1859年12月17日、フレデリクスボー城は大火に見舞われ、城の内部の大部分が焼失してしまう。フレデリクスボー城は、最大の危機に直面した。

 

救世主はビール王J.C.ヤコブセン

 フレデリクスボー城の城館は、木造でなく煉瓦構造である。そのため、内部や館内の伝統ある調度類が燃え尽くされても、外壁や建物自体は残った。

 まもなく城の再建が開始されたが、資金を提供したのは、ビールの製造で世界的に有名なカールスバーグ財団の創設者であるJ.C.ヤコブセンだ。ヤコブセンは「ビール王」とも呼ばれる。

 デンマーク王室は、フレデリクスボー城を住居としないことは決めていたが、何に使用するかは決定していなかった。ヤコブセンは、フレデリクスボー城に国立歴史博物館を設立することを提案。城の再建と、博物館設立にかかる費用の提供を申し出た。

 ヤコブセンの申し出は聞き入れられ、1878年、フレデリクスボー城内に国立歴史博物館が発足。以来、博物館はカールスバーグ財団の独立した部門となっている。博物館は現在でも一般に公開されており、肖像画、歴史画、家具などのコレクションが展示され、デンマークの長い歴史を伝えている。

フレデリクスボー城内にある国立歴史博物館。写真=PIXTA

 

東京のランウェイも歩いたニコライ王子

 フレデリクスボー城の最大の見どころは、「爵位のチャペル」と呼ばれる荘厳な教会だ。非常に高い天井と煌びやかな内装は、ため息が出るような美しさである。教会は、クリスチャン4世の時代の装飾が残るほどの伝統をもち、1859年の大火事もほぼ無傷でくぐり抜けている。

フレデリクスボー城の教会。写真=PIXTA

 この教会で1995年に結婚式を挙げたのが、現デンマーク女王マルグレーテ2世(1940年~/在位1972~)の次男ヨアキム王子(1969年~)と、香港出身のイギリス人女性アレキサンドラ元妃である。

 ヨアキム王子とアレキサンドラ元妃の結婚には色々なドラマが存在するが、二人はすでに破局しているため、代わりに二人の長男ニコライ王子(1999年~)を、ご紹介しよう。

 ニコライ王子は、王位継承順位第七位の正真正銘の「王子」であるが、もう一つ別の顔をもつ。ニコライ王子は高校卒業後から、気品溢れる端正な容姿を活かし、モデルを職業としているのだ。2018年11月末に東京で開催されたクリスチャン・ディオールのファッションショーでも、モデルとしてランウェイを歩いている。

2020年1月17日、パリで開催されたクリスチャン・ディオールの2020/2021秋冬コレクションでランウェイを歩くニコライ王子。写真=ロイター/アフロ

 美貌の王子のもう一つの顔がモデルとは、現代の「おとぎ話」のようであるが、実は少しばかり、切実な事情が存在する。

 デンマーク議会は2016年に、「18歳の成人を過ぎた傍系の王族には公費を支給しない」という閣議決定を下している。この決定により、ニコライ王子を含め8人いる女王の孫のうち、直系のクリスチャン王子以外は公費を受け取れなくなった。つまり、ニコライ王子は自分の力で、生計を立てなければならないのだ。

 

デンマークを見守り続ける城

 フレデリクスボー城の見どころは、教会だけでない。城の正面前のネプチューンの彫像を配した「ネプチューンの噴水」も、名物の一つである。ただし、現在の彫像は模作だ。本物は、1659年のスウェーデン戦争の際に持ち去られ、現在はドロッティングホルム城(スウェーデンのストックホルム郊外)の庭園に安置されているという。(太田静六著『ドイツ・北欧・東欧の古城』)

「謁見の間」の、デンマーク初となる人力のエレベーターも必見だ。

 王室の居城でなくなってから久しいが、フレデリクスボー城は今も、国立歴史博物館として、教会として、貴重な観光スポットとして、デンマークを見守り続けている。