文=鷹橋 忍
一度見たら忘れられない城
イギリスの詩人バイロンが、「この世のエデン」と称えたポルトガルの「シントラ」。ペーナ宮殿は、そのシントラの街を一望する標高528mの山(モンテ・ダ・ペナ)の頂上に聳え立つ、一度見たら忘れられない個性的な城だ。1995年には「シントラの文化的景観」として、世界遺産に登録されている。
1910年に王政が廃止されるまで王族に使用されていた正真正銘の「宮殿」であるが、遊び心あふれる造りは、宮殿というより、テーマパークに近い印象を受ける。
まず、色使いが大胆である。赤や黄、青などカラフルな色で塗られた建物は、宮殿を囲む木々の深い緑によって鮮やかさが際立ち、遠目にもかなり目立つ。
建築様式も、バラエティに富んでいる。宮殿の象徴である高く聳える塔は、ムデハル式(キリスト教とイスラム教の2文化の融合形式)だが、ゴシック建築の重要な特徴の一つである尖頭アーチ(二つの円弧で作られる先端の尖ったアーチ)を見たかと思うと、ルネッサンス様式のアーケード型開廊が現れる。
また、「マヌエル」と呼ばれる大航海時代の世界観の影響を受けた、過剰なまでの装飾を特徴とする様式も混在しており、まるで建築様式の寄せ集めのようだ。だが、それが独特の雰囲気を形成し、ペーナ宮殿を一度見たら忘れられない城にしている。
色鮮やかな外観に目が行きがちだが、壁に施されている装飾も独創的だ。バラや貝、蛇、船の網をはじめ、珍獣や、秘密組織の入門儀式にかかわるシンボルの一つだという噂も囁かれる彫刻など、ペーナ宮殿の壁にはあちらこちらに、美しくもちょっと不思議な装飾が施されている。
それらのなかで最もインパクトの強いのは、トリトンの門の上部から観光客を威嚇する半人半魚の像だろう。この像は海神トリトンで、世界の創造を象徴しているという。
アーティスト王・フェルナンド2世
ペーナ宮殿の建設者は、ポルトガル王フェルナンド2世である。フェルナンド2世はザクセン・コーブルク・ゴータ家の出身で、1836年にポルトガル女王マリア2世(1819~1853 在位1819~1853)のと結婚し、のちに王となった。
フェルナンド2世は、コレクター、スポンサーとして芸術を庇護するとともに、自らも水彩画を嗜み、「アーティスト王」と呼ばれた。
語学も堪能で、ポルトガル語はもちろんのこと、ドイツ語、ハンガリー語、フランス語、英語、スペイン語、イタリア語が話せたという。
フェルナンド2世はシントラに魅せられ、モンテ・ダ・ペナの山頂にあった16世紀の古い修道院を改築し、王室用の夏の宮殿を造ると決めた。それが、のちのペーナ宮殿である。建設にあたって、ドイツから建築家を呼び寄せた。
さまざまな様式が混在した独特の宮殿は、フェルナンド2世の理想とも、彼が見た夢を再現したともいわれる。宮殿だけにとどまらず、その周りには英国風の森林公園と、世界中から植物を取り寄せた植物園も建造した。
これほど情熱を注いだフェルナンド2世であったが、彼がその目で、ペーナ宮殿の完成を見ることはなかった。宮殿は1885年に完成したが、同年に城の完成を待たずして、フェルナンド2世は死去してしまったのだ。
フェルナンド2世は自分の死後も、宮殿の建設がスムーズに進むように、かなり詳しい建築計画を遺していたという。アーティスト王は死してもなお、ペーナ宮殿を作り続けていたかったのだろうか。
超有名なあの城との共通点とは?
ペーナ宮殿は「ポルトガルのノイシュバンシュタイン城」と呼ばれる。
ドイツのバイエルン州にあるノイシュバンシュタイン城は、「狂王」の異名をもつバイエルン王ルートヴィヒ2世(1845~1886在位 1864~86)が、ワーグナー(1813~1883)に心酔し、オペラ『ローエングリン』と『タンホイザー』に登場する中世騎士道の世界を再現しようとした白亜の名城だ。着工は1869年だが、1886年の王の「謎の死」によって建設は中断。未完成のまま、現在に至っている。
このノイシュバンシュタイン城を、王国の財政を逼迫させてまで建造したルートヴィヒ2世は、フェルナンド2世の従兄弟なのだ。そのせいというわけではないだろうか、芸術を深く愛したところ、夢のお城を築いたところ、また、城の完成を目にすることなく、この世を去ったところなど、二人の王には共通点がみられる。
不思議で楽しいペーナ城と、優美で華麗なノイシュバンシュタイン城。タイプの違う二つの「おとぎの城」は、ペーナ宮殿は観光客が列をなすほどのポルトガル観光の目玉の一つとして、ノイシュバンシュタイン城はドイツ・ロマンティック街道のハイライトとして。現代もその美しい姿で、訪れる人々につかの間の夢を見せ続けている。
同時代に二人の王が築いた夢のお城は、130年以上がたった今でも、色あせることはない。