文=鷹橋 忍
「龍王の城」のモデルといわれる湖上の要塞
これから日本も本格的な冬を迎えるので、今回は冬のイメージの強い北欧の城をご紹介しよう。フィンランド共和国のリゾート地、 サヴォンリンナのシンボル「オラヴィ城」である。
フィンランドは、アイスランドの次に世界最北の国で、スカンジナビア半島の付け根を占める、国土の約3分の1が北極圏に位置する寒冷の地だ。乙女が跪いたようにも見える形であることから、「バルト海の乙女」とも呼ばれている。オーロラや白夜、ムーミン、またサンタクロースの故郷としても有名だ。
日本では「フィンランド」と呼ぶのが一般的だが、フィンランド語での正称は「スオミ共和国Suomen Tasavalta」という。「スオミ」は湖や池を意味する「suo」が語源だといわれるが、語源のとおり、国土の約10%が、湖沼と河川が占めている。
オラヴィ城が建っているのも、湖上の小島である。周囲を水に囲まれた完全な水城で、1974年に開閉式の橋が架けられる前は、観光客も手漕ぎボートを利用しなければ入城できなかったという。
オラヴィ城は、三本の巨大な円塔が周囲を睨むように聳える石造りの要塞だ。現存する石造りの城の中では、最北に位置している。
いささか無骨な印象の外観あるが、周囲に白樺の森が広がる湖上に佇む姿は、独特の魅力を醸し出している。フィンランドの三古城のひとつに数えられ、絶大な人気を誇るゲーム『ドラゴンクエスト』に登場する「龍王の城」は、オラヴィ城がモデルだといわれる。
この湖上の要塞は、いつ、どんな目的で建てられ、どのような役割を果たしたのだろうか。それを語るには、フィンランドの歴史を、少しばかり紐解かねばならない。
スウェーデンとロシアの間で
現在のフィンランド人の祖であるフィン人は、700年頃にはフィンランド地方に定着していたとされ、「フィンランド」という呼称は、1400年代には使われていたといわれる。
しかし、独立国家としてのフィンランドの歴史は、僅か100余年にすぎない。
西をスウェーデン、東をロシアと、二つの大国に挟まれたフィンランドは、13世紀末から約600年間はスウェーデンの、1809年からロシア革命によってロシア帝国が崩壊する1917年までの約100年をロシアに統治されていたのだ。フィンランドが独立を宣言したのは、1917年12月6日のことである。
オラヴィ城は、スウェーデン統治下にあった1475年に、デンマーク生まれの騎士エリック・アクセリンポイカ・トットによって造られた。
オラヴィ城の建つサヴォンリンナは、ロシアとの国境に近いため、国境を脅かすロシア勢力(モスクワ大公国)に対する防衛基地として築かれたのだ。オラヴィ城は、対ロシアのために生まれた城なのである。