パリで10年にわたりテーラーを営み、現地で最高峰の地位に登りつめた天才、鈴木健次郎さん。コロナ禍によって顕在化したというその理想と現実を、服飾史家の中野香織が聞き出すリシーズ。後編は、鈴木健次郎さんがこれからの決意を語る。
文=中野香織 撮影協力=ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町
衝撃告白!フランスNo.1テーラー、鈴木健次郎の闘い(前編)
衝撃告白!フランスNo.1テーラー、鈴木健次郎の闘い(中編)
ラグジュアリービジネスの変貌
──一方でフランスにはLVMHやケリングなど、世界で覇権を握るラグジュアリーコングロマリットがあります。
鈴木 フランスのラグジュアリー製品は、粗利率が高く、ブランディングもうまい。そういう部分でのマニュアルを彼らはもっていますし、投資の専門家達ですよね。その部分のプロフェッショナルです。また、世界にマーケットがあるので、一部で売り上げが厳しくてもアジア諸国で利益があれば、トータルとしてプラスになります。
イメージとして全世界に発信するので、今のデザイナーは総合プロデューサーじゃないとやっていけないですね。マルチタレントじゃないとできない。
──マーケティングがうまいデザイナーが活躍する一方、デザイナーとして力がある人が少なくなりましたね。
鈴木 ジョン・ガリアーノが最後と聞きます。私はモードには詳しくないですが、ラグジュアリーブランドも様変わりしたように感じます。以前に比べ、ファッションの力が減りました。エディ・スリマンが作ったディオール・オムのデザインに皆が歓喜していた頃のような、モードの力はもうないですよね。
今はパリの街も活気を取り戻してきましたが、中小企業の経営者はコロナ禍で地獄でした。政府の補助は、飲食業、ホテル、観光業には手厚いのですが、家賃免除はないんです。家賃は常に発生するので、小さなお店は畳んでいきます。
うちの店は大統領府から徒歩数分の、パリの超高級エリアにあるのですが、店の周りでも、とんでもない数のお店が出ていきました。倒産したり、家賃を浮かすために引きはらったりなのでしょうが、いわゆる目貫き通りはガラガラです。パリに19年住んでいてもこんな光景は初めてで、本当に驚きです。コロナの収束後はまた税金が上がると聞きますし、今後、パリに残ってやっていこうという思いと、闘いに疲れているなという思いの、葛藤のなかにいます。
鈴木健次郎はパリに残るのか?
──そういう理不尽な思いをしてまでパリに残るとすれば、その理由はなんですか?
鈴木 私にとって、理由はシンプルです。超富裕層のお客様からの注文をいただきたい、と。それだけですね。アラブの王族からの注文や、アフリカの大統領からの注文が入るチャンスが高いということ。もちろん、パリの街からの刺激という意味もありますが。
ただ、精神的苦痛は大きいですね。差別もあるし常に闘っている感じはあります。メンタルが強くないと、ここでビジネスはやっていけません。また、既存の経営方法では経費がかかりすぎるので、普通にやると1着100万円で、年間100着作っても、ほとんど固定経費で消えてしまいます。会社をまわしていくことはできても、残すことは難しいのです。そういう経営の難しさを思うと、この場所でやっていく大変さは常に感じます。
私が修行したメゾンでは、王族や大統領の注文が年間1000着入り、1着150万円でした。そうした注文があることで、フランスのグランドメゾンは残っていけるんだと思いますね。
日本に帰るという選択肢も念頭に置いています。生産拠点を日本にして、パリのお客様に会いに行く方が、ずっといいのかなとも感じています。パリか日本か、どちらがよいのか、シミュレーションは立てています。