文=渡辺慎太郎

エアサスペンションのおかげで車高は最大45mm上昇、50mm下降できる。電子制御式のアクティブスタビライザーがボディの動きを巧みにコントロールする

リモートワークをする場所として

 クルマの販売が、世界的に見ても好調だそうです。コロナ禍とのはっきりとした因果関係は定かではありませんが、なんらかの影響はあるのかもしれません。日本で言われているのは、公共交通機関を使う代わりに自家用車で移動する人が増えているのと、リモートワークをする場所としてクルマが重宝されているらしいという話。自宅に閉鎖された書斎的空間がなく、家族に邪魔されずリモート会議に出席できるスペースとしてクルマに白羽の矢が立ったとか。確かに最近、高速道路のサービスエリアなどでは、ミニバンやSUVの後席でラップトップを広げている方をよく見かけるようになりました。わざわざそのためにクルマを買うまでもない人の中には「動かないカーシェア」という手もあるそうで、これはリモート会議の時間だけカーシェアを予約して、せっかく借りたクルマを駐車場に止めたまま車内でオンライン活動をする方法。奇想天外なアイデアを思い付くもんだと、発想力に乏しい自分なんかは感心していまいます。

 「SUVブームはさすがに終焉を迎え、次にはセダンやワゴンブームが控えている」と信じていたのに、もうひとつの部屋的活用として相変わらず大きなSUVもまた堅調な売れ行きのようです。それまではSUVとは無縁だったランボルギーニもロールス・ロイスもベントレーもアルファ・ロメオのマセラティもSUVを市場に送り込み、ついにはあのフェラーリまでも開発中のSUVもスクープされ、猫も杓子もSUV状態はもうしばらく続きそうな様相を呈してきました。

 

SUVとは無縁のスポーツカー

 アストン・マーティンも本来であればSUVとは無縁のスポーツカーメーカーだったはずなのですがDBXと呼ぶニューモデルを発表し、いよいよそれが日本の道を走り出しました。アストン・マーティンDBXはゼロから新たに開発したSUVで、アストン・マーティンはこのクルマのための生産工場までも新設するほどの気合いの入れようです。ポルシェを筆頭に昨今のスポーツカーメーカーは売れるSUVで稼いだお金を、話題にはなってもそんなに売れないスポーツカーの開発費に充てるというビジネスモデルを確立しており、アストン・マーティンもそれを狙っているのかもしれません。

キャビン部分を絞り込んだエクステリアデザインだが、室内のパッケージはきちんとしており、大人4人がちゃんと座れるほか、632リットルにも及ぶトランクスペースを有している

 ボディサイズはマセラティのSUVであるレヴァンテとほぼ同じで、全長5m強、全幅2m弱、全高1.7m弱の堂々たるボリュームです。アストン・マーティンはラピードというセダンをつい最近まで作っていたことがあるので4ドアの経験はあるものの、同じ4ドアでも車高が高く車重が2トン以上もあるSUVを作るのは初めてで、エンジニアサイドはいつもに増して慎重かつ丁寧に開発を進めたそうです。スポーツカーメーカーにとってSUVを作るということは、それまでずっと豚肉だけを揚げてきたとんかつ屋が突然さまざまな野菜や海鮮もある天ぷらを揚げるくらい難しい作業なのです。その上、SUVで溢れかえっている市場では「アストン・マーティンらしいSUV」を期待するわけですが、「初めて作るんだから誰もアストン・マーティンらしいSUVなんて知らないでしょう。私だって知らないです(笑)」と、開発チームとトップが以前語っていたのは、偽らざる本音だったと思います。

 恵まれていたのは、プラットフォームを専用開発できることでした。すでにある他のクルマのプラットフォームの流用では、どうしても理想とするゴールには辿り着けず、エンジニアは泣く泣く妥協を受け入れざるを得ないことになりかねません。アストン・マーティンのプラットフォームは後輪駆動の2ドアスポーツカー用しかなく、これを全輪駆動のSUVにコンバートするのはさすがに無理があったため、まったく新しいプラットフォームを作る決断が下り、それに合わせて工場もあらたに増設したというわけです。

 

アストン・マーティンらしいSUV

 実際に乗ってみると、誰も知らないはずの「アストン・マーティンらしいSUV」にちゃんとなっているので驚きました。アストン・マーティンはいずれのモデルも乗り心地がよく、快適性の高さが魅力のひとつなのですが、DBXもそのDNAをしっかりと引き継いでいて、タウンスピードでも高速巡航でもとにかく乗り心地がいいのです。車高調整もできるエアサスペンションのおかげもあるでしょうが、スポーツカーのようなハンドリングを目指すのであれば、もう少し締まった足周りにしてもいいのではないかとこっちが心配になるくらい、しなやかで上質な乗り心地を提供してくれました。

機械式のスイッチがどんどん姿を消していく昨今、アストン・マーティンはあえてそれを残し、コクピット然とした車内の風景にこだわっている。本革やウッドだけでなく、ウールのトリムを初めて採用した

 ところが、DBXはワインディングロードに入るとそれまでのおだやかな印象から一転、アグレッシブな姿に変わります。ボディが重いSUVでは、どうしてもステアリング操作に対してクルマの動きが遅れる傾向にあるのですが、DBXはそれが皆無で、左右に切り返すような場面でもステアリングの回転と完全にシンクロして、次から次へとコーナーをクリアしていくのです。感覚的には目線の高いDB11にでも乗っているような感じで、全長5mを超える巨体を操縦しているとは思えません。ドライバーの意志が正確にクルマに伝わり、期待以上のきれいな走りを見せてくれると人は「運転が楽しい」「もっと運転していたい」と思うわけです。いつもなら、大きなSUVだと積極的に走る気の起こらない箱根周辺でも、DBXではいつまでもステアリングを握っていたくなって、同行したカメラマンに「ずっとにやけてますね」と突っ込まれたほどでした。

 アストン・マーティンはメルセデス-AMGからエンジンの供給を受けており、DBXもDB11などと同じV8ツインターボを搭載していますが、部分的に専用パーツに交換するなどしてすっかりアストン・マーティンのエンジンとして仕上がっています。4輪駆動のシステムは新開発で、通常は前後の駆動力配分を47:53としているものの、状況によっては後輪に100%の駆動力を与え、FRのような走りも可能となっています。550ps/700Nmのパワーとトルクは常に4輪までしっかりと伝わっていて、トラクションロスはほとんどなく2トンを超える車体をいとも簡単に加速させるのですが、その様は決して荒々しいものではなく、あくまでもジェントルです。こういうところに英国車の品の良さを垣間見ることができのです。

 約2300万円という価格もなかなかのものですが、スポーツカーとSUVを2台買うと思えば、それが1台で済むDBXにはちょうどいいくらいかもしれません。