デジタル化の波は今やどの産業にも訪れ、ここへの対応力が各社未来の事業の命運を握っているといっても過言ではない時代。特に印刷業界はこの変動が大きく減少する印刷ニーズをデジタル変革によってどのように新しいビジネスへと転換できるかが試されている。
またちょうど事業承継の時期とも重なり経営変革をも余技なくされる会社も多い。そんな中ぬぐいきれない不安を抱きながらも、事業承継を決断した若き社長たちがいる。
彼らは、目の前にある困難をいかに乗り越え、新しいフロンティアを切り拓こうとしているのか。これからの印刷業界の未来を担う社長たちの想いとは。第二回目は、株式会社フジプラス 代表取締役社長 井戸剛氏に話を聞いた。
「フジプラス」になるまで
——まずは御社の歴史と現在の事業概要について、教えていただけますか。
井戸剛氏(以下、井戸氏) 大正12年(1923年)に創業して、昭和40年代以降は印刷の中でもロール紙から高速・大量に印刷するオフセット輪転印刷が中心でした。その状態が30年くらい続いたのですが、次第に川上と川下に事業領域がどんどん広がっていきました。川上とはクリエイティブ・マーケティング、川下とは印刷物の加工・製本を意味しています。
以前から通信販売のカタログを印刷する仕事が多かったのですが、今ではカタログを作るだけでなく、カタログに載せる商品の選定から仕入れまで、別会社にしていますが、商社の動きもしています。
生き残るためにいろいろなことをやっていたら、こんなことになってしまった。私がこの業界に入った20数年前には、関西でオフセット輪転機を中心にやっていた会社が数十社あったのですが、もう今は少なくなってしまいました。
——御社は平成29年(2017年)に不二印刷からフジプラスに商号変更されていますが、その理由を教えていただけますか。
井戸氏 僕が平成20年(2008年)に社長に就任したのですが、その後しばらくしてからロゴ変えました。その頃から、いつか社名をフジプラスに変えたいと思っていたのですが、当時はまだ印刷が仕事のベースとしてあったし、社内でも印刷を外すのは違和感を持つ方が多かったので、ロゴだけ先に変更して、不二印刷のまま続けていました。
しかし、3年前くらいから新卒採用が、難しくなってきたんです。そんな中で、非常にいい学生さんに内定を出したら、そのご両親から印刷業界ということで反対されたということがありました。説得してもご理解いただけず、内定辞退されてしまったことなどをきっかけに、社名を変える決断をしました。
社名から印刷を外したことで、社内に対して、「これからは印刷だけじゃダメなんだよ」というメッセージが伝わりやすくなり、他の仕事を取ってくるハードルが下がったメリットはありますね。
お客様からも印刷以外の相談をしていただきやすくなりました。一方で、何屋さんかわからなくなったというデメリットはありますけど(笑)