1980年代から活躍するペット・ショップ・ボーイズにとって、2020年代の音楽はどのようなものになるのか?
昨年の秋にイギリスに入ったとき、これでEUの一員としてのイギリスを訪問するのは最後かもしれないなあと思っていた。今年に入ってイギリスの議会がEU離脱をあらためて決議したことで離脱=ブレクジットがいよいよ現実のこととなりそうだ。
ブレクジットはイギリスにもEUにもさまざまな影響を及ぼすことは自明だが、双方のエンタテインメント・ビジネスにも大きな影響があるようだ。
EU内でも圧倒的な人気を持つイギリスのアーティストだが、これまではもちろんEU内を自由に往き来して、レコーディングやプロモーションを行なっていた。メジャーのレコード会社もEUをひとつのマーケットと見なして、イギリスのアーティストでも、新作発表に伴うプレス向けのカンファレンスやコンベンションはロンドン以外にドイツ、ベルギーなどのEUの中心的な街で行なうことも多かった。アーティストも関係スタッフもEU各国のプレスも移動の自由と簡便さがあるのでそれで問題はなかったわけだ。ストリーミングに押されつつも、まだまだ生き残っているCDやレコードなどのフィジカル・メディアも、これまでは東欧でプレスして、それがそのまま関税なしでイギリス国内にも入ってきていたのだが、これから関税がかかることになるのか? その額は?
関係方面にちょっと聴いてみたりしたのだが、誰も答えはわからないとのこと。実際に離脱してみないとわからないことだらけらしい。
いろいろなインタビューで、イギリスの多くのアーティストがブレクジットに反対しているのもそういう理由だ。
一方で、1980年代に戻るだけという意見もある。1993年のEU発足前と同じ状況になるのだからという理由だが、果たして?
そんな、これから激動を迎えようとするいま、結成およそ40年を数える大ベテランの音楽コンビが新作を出した。ペット・ショップ・ボーイズだ。
この1月24日に、ニュー・アルバム『ホットスポット』をリリースした彼らは1981年に結成され、1984年にレコード・デビューを果たした(そう、この頃はまだCDではなくレコードの時代だった)。
ホットスポットの意味
ヴォーカルのニール・テナント、キーボードのクリス・ロウの2人組であるペット・ショップ・ボーイズは、1980年代から2010年代まで間断なく活動し、多くのヒット曲を生み出してきたほか、マドンナやデヴィッド・ボウイなどのリミキサーとしても名を上げてきた。バレエや演劇の音楽を手がけるほか著作も上梓するなど多方面で大活躍だ。
2020年代初のアルバム『ホットスポット』もすでに世界各国で大ヒットしており、彼らは1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、そして2020年代と5つのディケイドで存在感を発揮してきたことになる。大げさな表現をすると激動のイギリスの歴史、およそ半世紀を縦断してきたベテラン。
ブレクジットを記念するわけではないが、そんな彼らに話を聴いてみた。
新作『ホットスポット』は、タイトルは、東日本大震災と原子力発電事故の記憶も色濃い日本人からするとドキッとするタイトルだが、そういう意図は彼らにはまったくないとのこと。
「なんてことだ、ぼくらの新作アルバムではベルリンがテーマのひとつになっていて、冷戦時代にベルリンが紛争地帯(ホットスポット)だったこと、むかしはいけているクラブなんかをホットスポットと呼んでいたことをかけているだけだよ」(ニール・テナント)
その言葉通り、アルバム『ホットスポット』には彼らのお気に入りの街であるベルリンを題材にした曲がいくつもある。ベルリンにはスタジオも持っているとのことだが、ブレクジット後は往き来に不便も生じそうだ。
そして、このアルバムはホットスポットであるクラブでも大受けするだろうダンス・アルバムでもある。
皮肉屋で文学的で、かつ享楽的でもあるという、ペット・ショップ・ボーイズならではの意味をいくらでも深読みできる重層的な歌詞も健在。
アルバム発売と同時に発表されたニュー・シングルの「モンキー・ビジネス」はかつての古きよきディスコ・ミュージックと最新のクラブ・ミュージックがタペストリーのようになったサウンドに刹那の享楽と退廃、そして自虐の内省があふれている。ミュージック・ヴィデオにもそれがよく表れている。
エクスペリメンタル時代
今年66歳になるニール・テナント、61歳になるクリス・ロウ。まだまだ若々しい2人は、ペット・ショップ・ボーイズが生まれ、それぞれ見事にサヴァイヴしてきた彼らにとっての各ディケイドをどう捉えているのか、単語ひとつで表現してもらった。
●1980年代
「“Hits”だな。ぼくらは1980年代にデビューして、多くのヒット曲を生み出したから」(ニール・テナント)
●1990年代
「“Survival”だ、まさに」(クリス・ロウ)
「そう、1980年代以上にヒット曲の有無が求められる時代を、ぼくたちはシングル重視ではなくアルバム・アーティストになることで生き伸びることができたんだね。だから“Survival”か、あるいは“Album”でもいい」(ニール・テナント)
●2000年代
「これは“Touring”で決まりだ。ライヴ・アクトの“Act”でもいいかな」(ニール・テナント)
「そう、2000年代はたくさんのライヴとツアーをやった。多くの音楽フェスティヴァルにも出演したよ。そういうバンドになったんだ」(クリス・ロウ)
●2010年代
「“Electric”だね。2000年代のぼくらの音楽には生の要素が多くなっていて、オーケストラ・サウンドもかなり使われていた。たとえば2006年のアルバム『ファンダメンタル』の収録曲はすべて生のオーケストラの音を使っている。だけど、2013年にプロデューサーとしてスチュアート・プライスを迎えて『エレクトリック』というアルバムを作って以降はアコースティックな要素がほとんど入っていないアルバムを作るようになった。1980年代のようにね」(ニール・テナント)
「この『ホットスポット』も1曲バーナード・バトラー(元スウェード)のアコースティック・ギターが入っているけど、それ以外はエレクトリックだ」(クリス・ロウ)」
テクノポップ全盛だった1980年代半ばのイギリスでヒット曲を連発し、メディアがレコードからCDに切り替わって100万枚単位のメガヒット・アルバムが生み出される時代にはアルバム・アーティストに。そしてインターネットの普及によってCDからファイル交換、ダウンロード、ストリーミング、YouTubeという新しい形の音楽流通時代の予兆が見えてきたときにはライヴ、ツアーを活動の中心とし、EDMなどエレクトリックなダンス・ミュージックが新しい潮流となったときに、すでにそこにいる。
これはイギリスのみならず、日本でもアメリカでも、音楽業界における理想的な立ち位置だろう。
本人たちに言わせると決して業界の分析や予測の結果ではなく、たまたまだというが、そういう動物的な勘が働くアーティストでないと、これだけの長期間、人気者であり続け、サヴァイヴァルし続けることはできなかったということだろう。
そんなサヴァイヴァーたるペット・ショップ・ボーイズが見据える2020年代は、ではどんな一言で表現できる時代になるのだろう?
しばし考え込んだ末、出てきたのはこういう単語だった。
「“Experimental”だ」(ニール・テナント)
その意味は?
「実験的になるだろう。なにが起きるかわからない時代だ」(ニール・テナント)
「そうだね、それはいいことだと思う」(クリス・ロウ)
何が起きるかわからない時代。ミュージシャン、アーティストに限らずいまを生きる人間すべてが実験的にならざるをえないのかもしれない。
ブレクジットとそれに伴うイギリス〜EUが変動に襲われる時代は、アメリカでも、この日本のある東アジアでも同様になるだろう。音楽の先行きは? そして世界の先行きは?
ペット・ショップ・ボーイズは今年、この『ホットスポット』の楽曲とこれまでの多数のヒット曲で構成するグレイテスト・ヒッツ・ライヴ・ツアーを敢行し、日本でもぜひコンサートを行ないたいとのこと。おそらくは年末か来年になると思うが、その頃に世界はどう変わっているだろうか?
協力=ソニー・ミュージックエンタテインメント / インタビュー通訳=新堀まりこ