『豊臣兄弟!』今川軍は2万5千?桶狭間合戦、織田信長と今川義元の両軍の兵力は本当はどのくらいだったのか? 桶狭間古戦場跡 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/11) 清洲城跡に建つ織田信長像。桶狭間に出撃した際のイメージで造形されている (画像2/11) 長篠の古戦場。織田信長・徳川家康の連合軍は、ここで武田勝頼の軍を撃破した (画像3/11) 名古屋市緑区にある桶狭間合戦伝承地(今川義元討死伝承地) (画像4/11) こちらは豊明市の桶狭間合戦伝承地。合戦伝承地が複数あるのは、潰走した今川軍が随所で追撃を受けて戦死者を出したためだろう (画像5/11) 静岡市にある臨済寺。今川氏の崇敬あつい禅宗寺院で、人質時代の竹千代もここで勉学に励んだと伝わる (画像6/11) 清洲城跡。織田信長はここを本拠として尾張統一を進めていった (画像7/11) 丸根砦跡。鳴海城封鎖のために織田軍が築いた砦 (画像8/11) 鷲津砦跡。桶狭間の前哨戦では丸根砦とともに今川軍に蹴散らされた (画像9/11) (画像10/11) (画像11/11) 『豊臣兄弟!』今川軍は2万5千?桶狭間合戦、織田信長と今川義元の両軍の兵力は本当はどのくらいだったのか? この写真の記事を読む