「開国か攘夷か」という思潮の源流を作ったのは田沼意次と松平定信だった…相反する二人が促した幕末への下準備 江戸城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/7) 江戸城桜田門。田沼意次は外国に門戸を開いて実利を得ることを考えた (画像2/7) 江東区の霊岸寺にある松平定信の墓所 (画像3/7) 印旛沼。田沼意次が計画した干拓は寛政の改革によって中止された (画像4/7) 伊豆韮山の反射炉。幕臣の江川英竜が反射炉を築いたのは意次失脚から70年後のことだ (画像5/7) 萩の松下村塾。吉田松陰は水戸学の影響を強く受けた尊皇思想家だった (画像6/7) 幕末に大坂湾防衛のため幕府が築いた西宮砲台 (画像7/7) 「開国か攘夷か」という思潮の源流を作ったのは田沼意次と松平定信だった…相反する二人が促した幕末への下準備 この写真の記事を読む