横浜開港・時代に翻弄された幕府公認・ラシャメンとは何か 港崎遊郭・四大大楼の一つ「神風楼」。看板に記された「NECTARINE」とはバラ科の果実を意味する。この異人揚屋は西洋人からはNo9の愛称で親しまれ、横浜港開港から関東大震災までの40年の間、繁栄を見せた大店(おおだな)である (画像1/4) 明治時代では珍しい3階建ての建物の上に時計台を設けた岩亀楼。蜃気楼か竜宮城かと賞され、他の大店(おおだな)を圧倒する威風堂々とした見世であった (画像2/4) 石油ランプのシャンデリアが架かるなど日本を代表する絢爛豪華さを誇る岩亀楼、夜だけでなく日中も座敷に見料を取って一般見物客に開放した 画:二代目歌川広重 (画像3/4) 数多くの名もなき女性たちの記憶を留める、この石灯籠には「岩亀楼」の文字が刻まれている (画像4/4) 横浜開港・時代に翻弄された幕府公認・ラシャメンとは何か この写真の記事を読む