(左から)サイボウズ Talent Enablement Expert 倉林一範氏
ZOZO コーポレートエンジニアリング 部ITサービスブロック 新井健太氏
三菱重工業 デジタルイノベーション本部 DPI部 SoEグループ グループ長 三宅英樹氏
三菱重工業 デジタルイノベーション本部 DPI部 SoEグループ EXチーム 岸田健氏

 現場社員がノーコードツールでアプリを開発する「市民開発」は、迅速な業務改善を実現する一方、野放図に広がればシャドーITを生み、組織にセキュリティーリスクをもたらす。現場の自律性とITガバナンスをいかに両立させるか──。この経営課題に真正面から取り組む三菱重工業とZOZOのリーダーが、「Cybozu Days 2025」のセッションで実践知を共有した。責任範囲の明確化、段階的なルール設計、ユーザーコミュニティの活用。両社の事例から見えてくるのは、市民開発を組織変革の推進力に変える戦略的アプローチである。

市民開発と内製開発──混同が生む組織の課題

「Cybozu Days」1日目のセッション「実践者が語る!『自立』と『ガバナンス』を両立する市民開発の勘所」には、三菱重工業とZOZOで市民開発を推進するリーダーが登壇した。三菱重工業からはデジタルイノベーション本部DPI部の三宅英樹氏と岸田健氏、ZOZOからはコーポレートエンジニアリング部ITサービスブロックの新井健太氏が参加し、ファシリテーターはサイボウズ Talent Enablement Expertの倉林一範氏が務めた。

倉林氏は冒頭、「市民開発と内製開発の混同が、さまざまな課題の原因になっている」と指摘した。市民開発は自社内で行う内製開発の一種だが、担い手が決定的に異なる。内製開発はIT部門のエンジニアが担うのに対し、市民開発はあくまで事業部門の一般社員が担う。この違いを理解しないまま推進すれば、責任の所在が曖昧になり、組織に混乱をもたらす。

 ZOZOでは、ファッションEC「ZOZOTOWN」などのサービス運営において、ワークフロー管理や台帳アプリ(各種マスターやスプレッドシートで管理していたデータをアプリ化)などに、kintone(キントーン)を活用している。当初はIT部門が全てのアプリを一括管理・開発していたが、業務改善のスピードをさらに高めるため、事業部門による市民開発へと舵を切った。

 現在、同社の市民開発は以下の3タイプに区分して管理されており、これらに携わる社員は全社で20人ほどに上るという。

・新規プロジェクト型市民開発:全社に影響する仕組みや基幹業務プロセスの刷新を伴う取り組み
・メンテナンス型市民開発:既存アプリの保守や、各部門の管掌業務の仕組み化を行う取り組み
・自由型市民開発:自部署の業務改善を目的とした小規模な取り組み

 このタイプ別管理は、リスクと効果のバランスを取るための戦略的な選択だ。影響範囲が大きいプロジェクトほど厳格な管理を行い、小規模な改善については現場の自律性を尊重する。こうした段階的アプローチが、組織全体の市民開発を持続可能なものにしている。

 一方、幅広い領域で事業を展開する三菱重工業では、事業ごとに経営資源を分割し事業会社化している。同社のDPI部は、各事業会社にビジネスIT技術を届け、横断的に支援する役割を担う部門だ。

 三菱重工業では、事業部門が自分たちで業務効率化につながるキントーンアプリを作り、自ら使うことを「セルフ開発(市民開発)」と定義し、その実践の場として独自の「キントーンお試し環境」を用意している。まずその環境で試行し、価値が確認できれば本番ドメインを立ち上げ、本番運用に進む。各段階で関係部門間の合意を取りながら開発を進める仕組みだ。

 この段階的アプローチの背後には、「価値の検証なき本番運用」を防ぐという明確な意図がある。性急に本番環境で展開すれば、投資対効果の低いアプリが量産され、かえって組織の負担となる。お試し環境での検証プロセスは、市民開発の質を担保する重要な仕組みである。

市民開発は自由ではない──ガバナンスを効かせる施策とは

「市民開発は自由か」──倉林氏のこの問いに対し、登壇した3氏の答えはそろって「No」だった。自由奔放な市民開発は、組織の把握や管理が及ばない「シャドーIT」を生み出し、セキュリティーリスクを高めてしまう。一定のルールや枠組みを設け、ガバナンスを効かせていく必要がある。

 ZOZOの新井氏は、市民開発の3タイプのうち「メンテナンス型市民開発」が最も取り組みやすいと指摘した。「1からアプリを作る場合は、覚えなければいけないことが膨大です。しかし既存アプリの修正であれば必要な知識も限定的で、スモールスタートで始めることができ、リスクも最小限に抑えられます」。

 また、新井氏はタイプごとにルールの厳格さを変えていると話す。例えば「新規プロジェクト型」には細かく多くのルールを定める一方、「メンテナンス型」は共通ルールの最低限の運用のみ、「自由型」では共通ルールの適用は推奨にとどめている。

 もっとも、新井氏はルールを文書化すること自体をガバナンス強化のゴールにしてはならないとも強調した。「『なぜルールを守らなければならないのか』までを浸透させて初めて、ガバナンスが効いた状態に近づくのだと考えています」。ルールの背後にある意図や目的を理解させることが、真のガバナンス確立には不可欠なのだ。

 一方、三菱重工では市民開発のための「お試し環境」を用意し、利用シーンを「知る・学ぶ」「使う」「作る」「話す」の4つに分け、それぞれ可能なアクションを明示している。例えば「使う」フェーズではカタログに掲載されたアプリを試用でき、「作る」フェーズでは試行のためのアプリ作成のみが許可される。

 岸田氏は「『すぐにでも本番運用したい』という人も多いですが、試行して本当に価値があるのかを見極める必要があります。本番と全く同様でなくてもいいので、ロールプレーをして検証するなど、実際のアプリを使って検証することが重要です」と強調した。

責任範囲の明確化──IT部門と市民開発者の役割分担

 ルールやガイドラインで「ガバナンスの傘」を用意すれば、その下でセキュリティーを担保しつつ、安全かつ効率的に市民開発を進めることができる。しかし、一歩でもその傘からはみ出したものは即座にシャドーITになってしまう。倉林氏は「市民開発の『自律』と『ガバナンス』のバランスを取るためには、『誰がどこまでやるか』を議論する必要があるのではないでしょうか」と問題提起した。

 新井氏は「責任範囲の分担は、非常に重要です」とうなずく。ZOZOでは、IT部門がシステム範囲、事業部門の市民開発者が業務範囲と、責任範囲をはっきりと分けている。

「IT部門は事業部門に綿密にヒアリングし、なぜその機能が必要かを明らかにしながら、システムの機密性・完全性・可用性を保証します。そして市民開発者は、業務に対してアプリ運用が適切か、利用者が使いやすくなっているかを保証します」(新井氏)

 こうした取り組みが実り、ZOZOがISMS認証(情報セキュリティーマネジメントシステム)を取得する際の審査では、市民開発したアプリがその利便性や業務効率性の観点で高く評価されたという。ガバナンスと利便性の両立は、単なる理想ではなく実現可能なのだ。

 岸田氏も「責任範囲の明確化は大事です」と述べ、自社で市民開発者と共有しているアプリ権限のイメージマトリクスを紹介した。縦軸に「社内A部(本番用/検証用)」「プロジェクトB(検証用)」等のスペースを、横軸に「とりまとめ部門のアプリ管理者」「社内のアプリ管理者」「社内のアプリ利用者」といったユーザー権限を配置した図だ。

 岸田氏は「社外とのやりとりが必要か、社内でしか使わないのか。権限ユーザーの広がりや、全公開になった場合のリスクも市民開発者に認識してもらいます。自分たちが何を目指し、現時点でどこにいて、どうなれば次に移れるのか──自分で管理できるようになってほしいというメッセージを込めています」と説明した。

ユーザーコミュニティが拓く自律的な学習文化

「自律」と「ガバナンス」の両立には、市民開発者の育成・教育も欠かせない。ZOZOでは市民開発者を支援するため、IT部門が3タイプ別に伴走支援のパターンを定義し、新井氏を中心に手厚いサポートを行っている。

 一方、三菱重工では実際に手を動かして学べる動画コンテンツを中心に教育資材を拡充している。現在、同社のお試し環境は約2000人が利用しており、この中で講座を受講してキントーンアプリの作り方を学んだ社員同士が情報交換するユーザーコミュニティも活性化しているという。

 三宅氏は、事業部門の有志が教育コンテンツを視聴しながら自主的に勉強会を開催した社内事例に触れ、「IT部門が働きかけるだけでなく、間にいるユーザー自らが動く形で教育が展開されるケースもあり、教育施策を捉え直す必要を感じています」と語った。

 トップダウンの教育施策から、ボトムアップの学習文化へ。この転換は、市民開発が組織に真に根付いた証左である。ユーザーコミュニティは、知識の共有にとどまらず、組織内に自律的な学習文化を醸成する触媒となっている。

 倉林氏は「市民開発を実践するユーザーのコミュニティも、『自律』と『ガバナンス』のバランスをとるための1つのポイントですね」と述べ、エンタープライズ向けキントーンユーザーコミュニティ「キントーン EPC(Enterprise Circle)」から得られた知見をまとめた「市民開発ガイドライン」が10月にリリースされたことを紹介した。

 このガイドラインの作成にEPC副会長として携わった新井氏は、「ガイドラインはルールブックではなくスタイリングブックです。ぜひ参考にして、自社に合ったルールを作って市民開発を進めていただければ幸いです」と会場に呼びかけた。

 三宅氏は「今日登壇した2社の間でも、市民開発の進め方に違いがあると実感しました。このガイドラインが正解ではないと認識した上で、いかに組織に浸透させていくかを各社が考えなければなりません。そこで得られた新たな知見をガイドラインに反映するサイクルができれば素晴らしいと思います」とコメントした。

 岸田氏は最後に、力強くこう語った。「市民開発を効果的に進めることは難しく、多くの障壁があります。それでも諦めずに進めた先に、新しい景色がさまざまに見えてくるはずです」。

 市民開発の成否を分けるのは、技術やツールそのものではない。それは、自律とガバナンスのバランスをいかに組織に根付かせるかという、マネジメントの本質的な課題である。三菱重工業とZOZOの実践が示すのは、段階的なアプローチ、明確な責任範囲の設定、そして自律的な学習文化の醸成こそが、市民開発を組織変革の推進力に変える鍵だということだ。変革の道は容易ではないが、その先に待つのは、現場の創意工夫が組織全体の進化を加速させる、新しい企業の姿である。

市民開発とガバナンスを両立できる理由


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