取材・文=岡本ジュン 撮影=シラタニ タカシ
父から受け継いだ職人魂を糧に2代目が歴史を刻む
かつて京都駅近くに、地元の人々から愛された洋食店があった。創業は1978年、場所柄や時代から客層はお腹を空かせた現場作業員が中心だったという。そこで店主は考えた。リーズナブルな価格であること、スピーディーに提供できること、なおかつ毎日食べて健康になれる料理を出したい、と。定食に豚汁をつけていたのも、当時としては珍しかったという。毎日必死に努力を重ねた結果、働く人々を支える食堂のような、誠実な洋食店ができあがった。その店の名前は『グリルにんじん』。
時は流れ、現在『グリルにんじん』は京都東北部の一乗寺近く、閑静な住宅街のど真ん中にある。
「店がオープンしたのはちょうど私が生まれた年です。7年後に、もっとゆったりと商売をしようとこちらに移ってきました」と話すのは、2代目を継いだ近藤太地さんだ。
30余年を経て内装はきれいになった。キッチンとつながる大きなコの字カウンターやレンガの壁のある空間は広々としている。でも料理へのスタンスは今も少しも変わってはいない。ある日のランチでは、昼下がりのビールとハンバーグを楽しむ人がいる、年配のご夫婦がいかにも行きつけらしい様子で食事をしていた。この光景から、地元の人たちがいかにこの店を愛し、生活の一部としてきたかがわかる。
太地さんの父で、店を作った近藤義輝さんは、息子いわく昔かたぎのがんこな職人。料理に化学調味料を一切使わないのはもちろんのこと、イチから丁寧に仕込み、食材の質にもストイックにこだわってきた。たとえば、揚げものの油はドレッシングにも使えるこめ油を使う。ハンバーグのデミグラスソースを手作りする店は今では少ないが、ここでは小麦粉をオーブンで焼くところから始め、完成に3日をかけている。付け合わせのトマトは湯剥きしてあるし、ポテサラは毎朝手作りする。
「昔はキャベツも手で切っていましたし、アルバイトがいない時代もあったから、朝早くから仕込みに追われていましたね。まさに寝る暇もない。親父は体力があったから乗り切りましたが、よくやったなぁと、後を継いでやっとその大変さがわかりました」としみじみ語る。
隅から隅まで、食べる人の健康とおいしさを思いやって作られているから、『グリルにんじん』の洋食はきれいな味がする。ボリュームはあるが、するりと胃袋に収まる優しい料理だ。かなり年配の男性が、マカロニグラタンとハンバーグステーキを並べてうれしそうに頬張っているのを見かけたが、この店だからこその光景かもしれない。
『グリルにんじん』のメニューは、ハンバーグステーキ、ビーフシチュー、ポークカツ、マカロニグラタン、カニコロッケなどなど。王道の洋食メニューのほかに、黒板メニューには季節の食材を使った前菜もある。実は太地さんのアイデアでワインを置くようになった。今では店の一角にワインショップもあり、買って帰ることもできる。
店のスタイルは時代に合わせて変わっても、料理に託した“思い”は変わらない。
「メニューは当時から全く変えてないです。ずっと長く通ってくれるお客さんが多くて、そういう方はほとんどメニューを見ないで頼むんですよ。オニオングラタンスープを飲んで、ハンバーグを食べてみたいな、自分の中のお気に入りを決めているんです。小さいころから来てくださって、大人になってまた誰かを連れてきてくれて……。そういう人たちをがっかりさせられないでしょう。「息子がいらんことして」とだけは言われたくないんです(笑)」
父が体を壊して厨房を退くと、最初は今までと同じ味に仕上げるのが難しかったという。
「若い頃は、親父が細々と口うるさいのでかなり反発していたんです。でも実はそれが一番重要なことでした。そのことは親父が抜けてみて初めて気がつきました」と太地さんはいう。父の一言、一言がきめ細かく目を配るという大きな意味を持っていたのだ。それを改めて実感できた瞬間だった。