文=石崎由子
“菌の調和”を生み出す発酵スキンケア
「和食;日本人の伝統的食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されて、来年で10年目を迎えます(2013年12月4日登録)。今では海外でもすっかり認知され、人気が高まっているメニューや調理法、食材などもたくさん見られるようになり、これからもますます注目を集める気配が感じられます。
面積は小さいながらも南北に長く、周りを海で囲まれ、高い山、平地など豊かな自然と気候に恵まれた日本は、バラエティーに富んだ食材と加工方法が魅力で、その中でも大きな存在感を見せているのが発酵食品です。食材を保存し、味わいと、栄養価に広がりと深みを持たせる発酵技術は、この国の暖かく湿潤な気候も相まって他にはないほどのバラエティーに満ちています。
発酵とは微生物が素材を分解する働きにより、人間にとって良い作用の物へと変化させることを指しますが、私たちは古くから発酵食品などに含まれるさまざまな菌の力を借り、味と保存だけではなく、それらが調和をもって体の中で作用することで、栄養や滋養などをもたらし、健康な体を保つことを理解し生活の中に取り入れてきました。
この“菌の調和”という実に日本的な考えから生まれた発酵を化粧品に使用するという試みを行い、今注目を集めているメイドインジャパンのスキンケアブランドがあります。「ソフィスタンス」というそのブランドが生まれるまでの出会いとつながり、そしてそこに込めた思いを開発者である河原れんさんに伺いました。
「ソフィスタンス」の隅々まで行き届いたこだわり
“発酵ビューティ®️”と称するスキンケアブランド「ソフィスタンス」は、日本の伝統発酵技法を使い生み出される「美活菌®️発酵液」とさまざまな和の素材を中心に組み合わせ作られたプロダクトです。
厳選された米・ゆず・りんごなどの素材を中心に独自開発したこの成分「美活菌®️発酵液」は、プロダクト全てに配合されていて、どのプロダクトを使用しても潤いある付け心地と、肌がふっくらとしたような感覚が実感できます。保湿力が高く、肌の健康に不可欠なビタミン・ミネラル・アミノ酸・有機酸などが豊富に含まれ、それに加え良質な酵素によって生成された成分により肌の常在菌バランスを整え、バリア機能もサポートしてくれます。
「美活菌®️発酵液」を作る素材の中心となる米は200年の歴史を持つ国内発酵液メーカーの杜氏職人にお願いし、じっくりとおよそ5年間という時間をかけて発酵させ、日本酒で培われた伝統的な手法で熟成されています。また、ゆずは高知県のこだわりの圧搾法を行う工場で、ゆずの持つ有用成分を余すところなく絞り出しています。
核としたプロダクトを包み込む、すっきりとしたシームレスなパッケージは、世代や性別にとらわれず、手に取りやすいデザインで、その素材にもそれぞれこだわりを持って作られています。
ボトルはリサイクルしやすいガラスを採用し、効率よく再資源化できるように全てのパーツを取り外しできるように設計されています。またパッケージなどに使用する紙は森林資源の保護に配慮したFSC認証紙またはECFパルプ配合紙を使用し、今ではあまり使用されなくなった紙管も採用。目を引く木目調のキャップは、国内唯一の技術である特殊な印刷手法を採用し、環境配慮だけでなく、日本の技術の継承にも取り組んでいます。
もちろん化粧品の処方や肌へのやさしさも追求し、“5つの無添加”として、鉱物油・パラベン・合成香料・着色料・動物由来成分、これらを不使用とはっきりと宣言しています。
何かを補うだけや、何かを排除する、というこれまでの考え方とは一線を画した化粧品のあり方を目指していて、私たちの体の中や肌に住み着く菌の調和をもたらす、整える化粧品という考え方のもと作られています。私たちの体の中には実に100兆種(そのうち肌には1000種)を超えるほどの菌がいるといわれ、共生をしながら500万年ほど前の人類誕生より生きてきました。発酵という作用によってこの菌たちとの調和を促し、整える、それこそが彼女たちが発信する“発酵ビューティ®️”なのです。
葛飾北斎を救ったレシピ
この極めて日本的な哲学を携えたスキンケアブランド、その誕生は開発者河原れんさんの探究心と、日本人の手仕事への愛から生まれたというべきなのかもしれません。
河原れんさんは、作家・脚本家として多くの作品を生み出し、現在も活躍されています。そんな彼女がなぜスキンケアブランドを、と思われる方がほとんどなのかもしれません。
ことの起こりは河原れんさんが企画・脚本を手がけ2021年に公開された映画「HOKUSAI」を執筆中に古い文献を調べていた時だったそうです。
浮世絵師として世界的にその名を知られる葛飾北斎は60代後半に中風(脳血管障害)で倒れ、筆を持てなくなるほど衰えてしまいますが、ある薬のおかげで見事に回復し「冨嶽三十六景」を完成させます。北斎を救ったゆずと日本酒をとろとろになるまで煮詰めるというその薬のレシピ(実際の製法はもう少し複雑です)を発見した時、河原れんさんは早速作ってみようと思い、鍋で煮詰め始めます。出来上がった時偶然手にポトリと落としてしまい、それを拭ってみると、肌がふっくらしっとりしていることに気づきます。そこでふと「顔にパックしてみたらどうなのだろう」という考えに至りその日に早速パックしてみたのだそうです。
実は河原れんさんは長年ニキビに悩まされていて、なかなか治らず、いろいろな化粧品を使用してみたり、クリニックへ通ったりしても、良い結果が得られていませんでした。そんな肌のトラブルと、好奇心で実行した行為が思いもかけない効果と変化をもたらしていきます。
次の日から少しずつ効果は表れ、何日か使用していたらあれほど悩んだニキビもすっかりなくなったことに感動し、自分のために作り続けながら周りの友人にお裾分けという気持ちで渡していったのだそうです。
配った友人たちも、みんな肌が改善されたと歓喜の声を伝えてきて、中には子供がアトピーで悩んでいる友人から、子供のアトピーがひいていったとの声まであったそうです。
自分だけでなく友人も、という事実に驚いてはいましたが、作家である彼女は特にこの時はスキンケアブランドを作るという考えはなかったのだそうです。しかしある時友人でモデルの鈴木えみさんから連絡があり、素晴らしいので是非商品にした方が良いと勧められ、世界中のスキンケアブランドを多く知っている彼女からの言葉に心が動き始めたのだそうです。
“和(ととのう)”ということ
商品にしていくかもしれないという気持ちと共に、効果を調べなければと思い、いろいろと調べていく中で、肌には常在菌叢があり、バランスが大切なこと、菌のバランスはストレスや環境で簡単に崩れてしまうこと、腸内環境と同じで発酵物によって良い菌が増え、バランスを取り戻すことができることを知り、これまで、抗炎症や殺菌という方法を中心に自身のニキビを治療してきたにもかかわらず、改善しなかった理由を理解していったのだそうです。
“和(ととのう)”が大切。このことが体に良いのだと思い至り、極めて日本的な考えだなと感じた時、このような日本の良いもの、手仕事、そこに潜む思想まで含めたものを、もっと多くの人に伝え、継いでいきたいという思いが高まり、スキンケアブランド立ち上げへと向かっていったのだそうです。
とはいえ、簡単には商品は出来上がりませんでした。素材選びから職人さん探し、こだわりのプロダクトを生むことは簡単ではありません。もうダメかと思うとそこには不思議な偶然が重なり、前述した発酵液メーカーの杜氏職人や、ゆず圧搾の工場へとつながっていったのだそうです。
ここまでの哲学を持ったのであればと、パッケージや容器にも“和(ととのう)”を貫くことにこだわります。背中を押してくれた鈴木えみさんと共にリサイクルや、なくなってしまいそうな日本の手仕事をブランドの表現としてバランス良くまとめていき「ソフィスタンス」は完成していきます。
しなやかに、でも力強い背中を見せてくれた母、祖母
「ソフィスタンス」完成までには実にさまざまな人の縁が後押ししてくれたと語る河原れんさんですが、このバイタリティー、そして好奇心はどのように作られてきたのだろうかと、ふと興味が湧き、少しだけ子供の頃のお話も伺ってみることにしました。
河原れんさんは東京生まれの東京育ち、そういうと都会っ子なのだろうと思われがちですが、母親が救急病棟の看護師長だったためとても忙しく、子供の頃の長い休みはいつも、長野の祖母のところへ預けられていて、1人で遊ぶことが多く、山や川へ入り1人で遊びを作り出し、想像力を膨らませ過ごしていたのだそうです。今思い返すと祖母の作った発酵食品(味噌や漬物)をたくさん食べていたと語る彼女。空想や想像、自分でルールを作った遊びのおかげで、作家に必要な想像力と編集力を培いながら、子供の頃の記憶の中に、山や川の原風景、郷土料理としての発酵食も刻まれていたのかもしれません。
また、2人の兄を持つ末子でありながら自立心と独立心を養うことができたのは、母親の背中を見て育ったせいかもしれないと語ります。16歳の時に突然母親に海外へ行ってきなさいと言われ、1人でアメリカ旅行へ出かけ、多様な価値観に触れ、自分の力でどうにか過ごすという16歳の女の子にとってサバイバルを体験させられます。大学受験の時には、母親が滑り止めを受けさせてくれず志望校1本にしなさいと言われ、兄は浪人もしているのにと母親に聞くと、「人生に滑り止めはない。女は男の3倍努力しないと生きていけないから」と言われたそうです。その言葉に社会に出て働く女性として娘に覚悟を持たせようとした思いが見えてきます。厳しさの中にも強くなってほしいという母親の大きな愛情を感じました。
その後、大学を卒業した河原れんさんは、大きな病気をして外に出られなくなったことをきっかけに、ライター業を始め、才能を認めてくれた編集者の方の勧めで作家へと転身していったのだそうです。
「ソフィスタンス」を通じて発信する調和という生き方
祖母、母、河原れんさんと続く女性の話はとても興味深く、「ソフィスタンス」の根底に流れる真のようなものは、実はここにあるのかもしれないと感じました。多様性と叫ばれる昨今、良い意味で女性的な感覚、しかも自らの足で立って強くしなやかに生き抜く姿には、調和し新しいハーモニーを生み出していく音楽のように、優しい流れのようなイメージが伺えます。そもそも日本の美意識とは、そんな柔らかで調和を求めるものなのだと思います。
彼女はスキンケアブランドを大きくしていくことが真の目的ではなく、日本の良いもの、良い技術、それらを生み出した思想を世界中の方々に伝え、そして未来につなぎたいのだと語ります。
大量生産、大量消費の時代に、多くのものを持ち、いらないものは排除、といった何か突出を目指すような働き方や社会のあり方とは違う提案を、河原れんさんはスキンケアブランド「ソフィスタンス」を通じて提案しているのかもしれません。
その「ソフィスタンス」の新たな表現として、先頃、調香師の沙里さんとのコラボレーションプロダクトが発表されました。同じ考えや哲学を持つデザイナーや職人、クリエイターと調和しながら新しいものを生み出していく。そんな活動をこれからも行っていきたいのだと語ります。
また海外向けショッピングサイトも先日開設し、“和(ととのう)”という考え方を美容と健康の観点から世界へ向けて発信も始めています。
祖母、母から受け継いだ強くしなやかに生きるバイタリティーと、子供の頃の経験から養った好奇心と空想力を携えた河原れんさんは「ソフィスタンス」チームのメンバーと共にこれからも、どんどん新たな表現を生み出していくのだと思います。
21世紀を迎え多様性という価値観を受け入れられ始めた時代だからこそ、河原れんさんたちが「ソフィスタンス」に込めた日本的な感覚は、ゆっくりと柔らかに広がり、調和という生き方を伝えていってくれるのかもしれません。