泉質のいい温泉に浸かりたい、地元の美味しい食材を味わいたい、宿のおもてなしに癒されたい・・・。旅の目的は多々あれど、今ほど「旅を楽しみたい」と願うことがあっただろうか。全国の旅館&ホテルをくまなく取材する旅ジャーナリスト・のかたあきこさんが、来るべき日のために、一度は泊まるべき日本の宿を紹介する連載。ご期待ください。
シンボルは鹿鳴館風建築の温泉棟
法師温泉長寿館は、新潟県境に近い群馬県三国峠の山麓、標高800mの谷間にある一軒宿だ。三国街道から林道を約5km。どん詰まりに杉皮葺きの屋敷が見える。これは明治8年(1875)築の本館で、宿の創業と同じ145年の時を刻む。国登録有形文化財の美しい木造建築だ。
本館と同じく木造浴舎「法師乃湯」も国登録有形文化財である。法師乃湯は昭和57年、国鉄“フルムーン”のポスターやCMの舞台となり一躍有名になった。こちらは明治28(1895)年の建築で、鹿鳴館風のアーチ窓の和洋折衷様式は唯一無二の存在感を放ち、宿のシンボルになっている。日中はアーチ型の窓から陽光が差し込み、透明感のある温泉がきらきら輝く。
法師乃湯の浴槽は四つに分かれ、温度を少しずつ違えている。時折、湯面に円が描かれるのは、湯底から源泉が湧き出すため。あちこちでぷくぷくと湧き上がっていて、生まれたての温泉を楽しめる。これは足元湧出泉と呼ばれ、全国に20ほどしかない貴重なもの。源泉そのものが湯船になっている。宿では、弘法大師巡錫(じゅんしゃく)の折の発見と伝えられ「法師」の名があるそうだ。
泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉。ふかふかとなめらかな感触の温泉に癒される。湯船の縁にある木枕に身を預け、大きな天井を見上げていると、胎内を思う不思議な安らぎを覚える。
湯小屋を支える太い梁にはこんな物語があった。岡村国男常務から教わった親子の物語だ。
「昭和40年、地元の大工が創建時からある浴舎の梁を補強するために横に二本の梁をかけました。そして十年後にその息子が縦に二本の梁をかけ加えました。親子二代の梁です」と。
この話を聞きながら「家業を継ぐことは、そこに関わった人々とのご縁も引き継ぐこと」と思えた。
木造浴舎「法師乃湯」を踏襲し、平成の時代に誕生したのが「玉城乃湯」だ。新設するにあたり、湯脈を荒らさないよう慎重に時間をかけて造られたという。こちらは総檜造りで単純温泉の湯が注がれる。銘石を配した露天風呂を併設し、紅葉や雪景色など四季の彩が楽しめる。ほかにヒバの香り爽やかな足元湧出の長寿乃湯があり、湯めぐりが楽しい。
文化財の宿という歴史の館を預かる喜びと責任
客室は四棟に33室ある。明治8年築の本館を中心にして、昭和15年に建てられた別館、昭和53年完成の薫山荘、平成元年に建てられた法隆殿が、法師川をはさんで渡り廊下で結ばれている。すべて木造の風情ある佇まい。
これまで多くの文人墨客が訪れ、ゆかりの部屋が今も残る。例えば本館の二十番客室は、上越線が開通した昭和6年に与謝野晶子・鉄幹夫婦が逗留した記録が残る。
朝夕の食事は部屋でゆっくり味わえる。川魚や鯉、山菜などを使った素朴な会席料理ほか、上州牛のステーキプランなどを用意。
2020年春に、法師川沿いにある別館10室の内装をきれいに快適に整えた。別館も本館同様に国有形登録文化財の建物。「昔ながらの雰囲気を残すことにこだわった」と、七代目を引き継ぐ岡村 建(たけし)さん。建物の文化財申請も、自分の代で果たすべき大きな仕事だったと話す。
創業145年の木造老舗旅館。先代は昭和50年設立の「日本秘湯を守る会」の初代会長を務めるなど、温泉ファンにもよく知られる名湯の宿である。
ウィズコロナ時代、温泉旅館を守る思いを七代目はこう語る。
「この山奥の宿で一生懸命働いてくれる社員と家族には感謝しています。人材を守りながら、地域やお客様に愛される宿を目指していくことが、温泉旅館が末長くあり続ける確かな方法だろうと再認識しているところです。社員とは、歴史の館を預かる喜びや責任を共有しています。文化財の宿に泊まれるとお客様が喜んでくださるのが励みです」と。
時を重ねるほどに風格を増す木造浴舎や木造屋敷。温泉はもちろん、建物とそれを磨く人たちに会いたくて、地元ファンや旅人は法師温泉に何度も訪れるのだと思う。宿の周囲に広がる、みなかみ町の自然も旅の魅力である。