文=吉村栄一
撮影=Seiji Okumiya(藤倉大)寺司正彦(舞台など)

ロンドンを拠点に活躍を続けている作曲家、藤倉大の新しいオペラ作品がこの11月に新国立劇場で世界初演される。
タイトルは『アルマゲドンの夢』。数々の名作で知られるイギリスのH・G・ウェルズの同名短編小説が原作だ。

これまで藤倉大は2015年の『ソラリス』、2018年の『黄金虫』の2作のオペラを発表しているが、それらはどれもヨーロッパでの上演。新国立劇場が委嘱したこの『アルマゲドンの夢』が藤倉オペラの待望の日本初上演となる。

──そもそもこのオペラのきっかけは一通のメールだった。

「今回の音楽監督である大野和士さんからメールをいただいたのがそもそもの始まりです。新しいオペラを新国立劇場のために書いてくださいという依頼」

──藤倉大にとって、オペラは特別な存在だ。

「この作品はぼくにとって3作目のオペラなんですけれど、オペラのすばらしいところは、作曲者のワンマンショーじゃないところ。もちろん最終的には作曲家中心で作品が決まる訳ですが、まず企画する劇場があり、音楽監督がいて、脚本家と演出家、そして歌手がいる。みんなで力を合わせて作り上げる総合芸術なんです。大野さんが最初に作曲家はオペラの脚本家と深くコラボレートしないといけないとおっしゃってくれてほっとした。ぼくには旧知の脚本家であるハリー・ロスがいるから、ぜひその人とやらせてくださいとお願いしたところ、その希望もすんなり通ってコラボレーションが自然にできた。オペラハウスによっては、そういう頼みを聞いてくれないことも多いんですよ。この人とやってくださいっていう写真だけのお見合い結婚みたいなこともある(笑)」

──題材はH・G・ウェルズが1901年に書いた短編小説『アルマゲドンの夢』となった。第一次世界大戦に向かい、帝国主義とファシズムの影がヨーロッパを覆っていく最中に書かれた幻想的なSF小説だ。

「音楽監督の大野さんからはオペラの題材はいまに通じるものにしてほしいという依頼があったんです。ぼくもそれには同感で、現代、現在のいまやるべきオペラの題材をいろいろ提案しました。その中のひとつが『アルマゲドンの夢』だったんです。ウェルズの中ではあまり知られていない短編。脚本家のハリーもイギリス人だから当然ウェルズ好きなんですけど、この話は知らないと言う。それぐらい知られていないもの。で、それはぼくが狙ったところでもあり、誰もが知っている名作もいいんですけど、それだとアレンジのちがいが話題になっちゃう。たとえば同じウェルズでも『宇宙戦争』などだと、みんなが知っている話で、原作とのちがいが注目されがちになるでしょ。みんなの先入観がないものがいい。」

指揮、音楽監督の大野和士

──後述するように、作品のテーマや内容からオペラの題材に決まったこの小説だが、オペラの原作とする場合は映画や演劇とちがい、留意しなければならないポイントもあると言う。

「そう、物語にどういう登場人物が配置されているのかも重要なんです。極端な話、登場人物がすべて男だったら、音域が下がる(笑)。そういう意味でも登場人物=歌手を追加したり削除したりできる話のほうがいい。たとえば同じ音域の歌が続かないように、オペラ一作目の『ソラリス』では原作の登場人物をひとり削除したこともあります」

──歌のメロディを書くことが好きだ。

「ぼくはむかしからメロディを書くのが好き。オペラのほか、合唱の曲もこれまでいろいろ書いていますが、歌のメロディに関して、歌手から苦情が来たことが一度もない。不自然に音符が飛んだりすることもないということでしょう」

──また、オペラの主役は歌手だと思っている。

「ヨーロッパの場合、オペラというのは、若いオペラ歌手を育成する場でもあるんです。

主役の大スターたちと共演させて、すごく短い場面の歌唱で若い子たちに経験を積ませるというシステムができている。オペラの成否は、そういう歌手たちにいい歌唱を提供できるかにかかっています。歌手が輝かないオペラはありえない」

──ヨーロッパの劇場とのコラボレーションで作られたこれまでのオペラとくらべ、制作は順調だった。

「そう、むしろこわいぐらい制作はスムーズに進みました。大きな、有名な劇場になると、ぼくが希望を言っても全然通らないのがふつうなんですよ。今回の場合はすべて通ったんです。脚本家にハリーを迎えるという最初から、リディア・シュタイアーという演出家を迎えたいという話まで第一希望がすべて通った。リディアは当時すでにオペラ・マガジンの表紙になるような人だったけど、決まってからこれまでの間にさらに大スターになった。彼女が日本に来るのは初めてでしょう」

演出家のリディア・シュタイアー

──リディア・シュタイアーは2018年のザルツブルグ音楽祭において、モーツァルト『魔笛』の演出を手掛けて、その斬新さ見事さから世界中のオペラ・ファンから注目を集めるようになった気鋭の演出家だ。藤倉大と両者とも懇意のニューヨークのアンサンブルを介して知り合い、以前からいつかコラボレートしようと約束を交わしていた間柄でもある。

「ほとんどニアミスだけど、アイス・アンサンブルを通してリディアとは違いに存在を知っていて、彼女はぼくの音楽をアイスの演奏を通してよく知っていた。で、ようやく会えたのが5年前。そのときにいつか一緒になにかやろうと決めてたんです。そうそう、脚本のハリーも元歌手なんですけど、リディアも元ソプラノの歌手。そのため歌手の扱いもうまいし、なにより合唱を動かすのがうまい。ソリストの選考には彼女の提案も多くて歌手の多くはリディアの知り合いで、ぼくもよく知っている人が多くなりました」

──こうして布陣も決まり、藤倉大は順調に作曲を続けていった。

「ぼくは作曲自体は締め切りのずいぶん前に終わらすことが多いんです。でも、作曲前にいろいろ複雑な契約などの作業に長い時間がかかる。ただ今回は、新国立劇場やぼくのスタッフががんばってくれて、すごくスムーズに進んだ。ふつうは1年かかる事務作業が半年で終わったり。なので作曲も早くスタートでき、2019年の春にはフルスコアは完成していたんじゃないかな。フルスコアが完成した後にある作業、膨大なスコアやパート譜をあせらずにチェックできた」

──ハリー・ロス、リディア・シュタイアーとも藤倉大の住むロンドンで入念な打ち合わせを重ねた。

「たとえば歌手に見てもらう前に脚本家のハリー・ロスに目を通してもらって、元歌手の彼に全パートをぼくの前で歌ってもらった。合唱のパートからソロまで全部歌ってもらって、英語のアクセントの自然さとかもチェックしてもらいましたほら、英語ってアクセント次第で意味ががらっと変わっちゃったりするじゃないですか。デザート(砂漠)とデザート(おやつ)とか半拍アクセントがずれるだけでどちらか不明になっちゃう。その譜割りもチェックしてもらった」

藤倉大の盟友であるハリー・ロス

──2017年に始まったオペラの制作は順調に進んだが、ひとつのオペラ作品の企画から完成までが3年というのは、オペラの世界では異例のスピードだそうだ。

「3年でオペラがひとつできるというのはすごく早いと思います。現にいま進めているのは2024年とか2025年に発表される作品の話。ポップスの世界だと半年後のスケジュールってわからなかったりするじゃないですか。それがクラシックの場合は往々にして2〜3年後はすでにみんなのスケジュールは決まっている。オペラになると歌手のスケジュールは4〜5年前から押さえられていたりもする。3年前にオファーされても困るよってなっちゃう(笑)」

──しかし、その順調な制作の最中に世界を襲ったのが新型コロナ・ウィルスによるパンデミックだった。

 

<藤倉大・プロフィール>
1977年大阪に生まれ、15歳で渡英。数々の作曲賞を受賞。ザルツブルク音楽祭、ルツェルン音楽祭、BBCプロムス、バンベルク響、シカゴ響等から作曲を依頼され、共同委嘱多数。2014年には名古屋フィル、17年にはイル・ド・フランス国立管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに就任。15年にシャンゼリゼ劇場、ローザンヌ歌劇場、リール歌劇場共同委嘱によるオペラ《ソラリス》を世界初演、18年アウグスブルク劇場で新演出上演された。17年にヴェネツィア・ビエンナーレ音楽部門銀獅子賞受賞。同年から東京芸術劇場「ボンクリ・フェス」の芸術監督。