文=吉村栄一
撮影=佐藤早苗(藤倉大)寺司正彦(舞台)
藤倉大の新作オペラ『アルマゲドンの夢』が、ついに11月15日、東京初台の新国立劇場で幕が開いた。
リハーサルの当初からロンドンの自宅でリモートでその様子を見守ってきた藤倉大も、初日にあわせて15日前に来日。2週間の自主隔離期間を経て、この初演に駆けつけた。
──2週間の自主隔離期間中は、滞在先となった宿泊施設にこもっていた。
「それでもびくびくしてました。イギリスから来たので新型コロナの恐ろしさはよくわかっている。日本だとあまりに緊張感がないように思えて逆にこわかった。宅配でなにかが配達されても配達の人と接触しないように玄関先に置いてもらったり……」
──また、藤倉大のみならず、海外からの出演者やスタッフももちろん自主隔離を経た上で参加している。
「歌手や演出のリディアのように小さい赤ちゃんがいる人も2組。彼らは子連れで来日しています。うちの妻は小さい子供がいるのに連れて海外に行くなんて信じられないって言うんですよ。それはすごくわかる。赤ちゃんってなにかっていうと熱を出したりするし、このコロナの状況の中で外国で子供を病院に連れていく事態とかを考えると不安なのは当然でしょう。きっとみんな葛藤があり、家族会議があったと思うんですよ」
──しかし、子供がいることを理由に『アルマゲドンの夢』への参加を取りやめたスタッフ、キャストはいなかった。
「そう、みなさん子供を連れてでも日本にやってきた。“だって、ここにいなかったら自宅でキャンセルになった全部のオペラの事を不健康にも考えてるだけだもの”って。なにがなんでもやる。日本にでもどこにでも行くに決まっているって言うんです」
──自主隔離期間中も、もちろんゲネプロを含む『アルマゲドンの夢』のリハーサルをチェックし、スタッフらと意見を交換した。
前回のインタビューでも語られていたが、このリモートでリハーサルや稽古を見守るというのは藤倉大という作曲家にとって、現場と適度の距離感を保てるのではないかということ。
「基本的には応援するだけですけど、気になったことはメッセージで伝えたりします。現場にいるとどうしても意見を求められるのだけど、自由にやってもらって、どうしても気になるところだけこちらから問い合わせるという形がよかったと思いますね」
──ちなみに、今回はこういうことがあった。
「リハーサルの初期に最後のシーンでピーターの歌唱がちょっとおかしかったんですよ。演技が過剰で歌に力が入ってないように見えた。演技と歌のパーセンテージは歌手が決めるものだから文句を言う筋合いではないけれど、それでも気になってメッセンジャーで声をかけたら、いや、それはちがうと。実はあのときは歌いながら感動して泣いてしまったそうです。歌えないから演奏を中断してほしいと指揮者の大野和士さんに合図を送ったんだけど演奏は止まらなかったから、泣きながら歌うしかなかったんだと。それを一回練習でやると、今後はもう泣くこともなく歌えるから心配するなって(笑)。その話は、日本人のカヴァー歌手の鈴木准さんも『ああ、あそこ絶対感動しちゃうので、そうならないように気をつけないといけない所ですね』とおっしゃっていた」
──新国立劇場では感染症の専門家らの助言も取り入れてオペラ上演のための感染対策のガイドラインを作り、リハーサル期間中も連日、芸術監督でこの公演を指揮した大野和士や演出のリディア・シュタイアーらと綿密な確認を行っていたそうだ。
「大野さんは夏ぐらいから演奏や歌唱による飛沫の拡散のテストをしていたそうですし、劇場も換気のテストやオーケストラ、歌手との試奏をして準備していた。リディアも劇場スタッフからこれはダメですと言われてもそれによく対応した。今回のコロナによる制約というのは芸術的意図とかそういうものでは揺るがず、科学的にダメと言ったらダメというもので、やりたかった演出法が根本から不可能になったり、リハーサルの間は大変なこともあったらしい。でもリディアはすごく冷静で、知的な人だから、ダメを出されても、ここで感情的に反発しても解決しない、他の演出法を考えようとすぐに頭を切り替えて対応していました」
──藤倉大は、今回のことで真に才能のあるなしが問われる時代になったと感じたそうだ。
「そう、こういうところで本当の才能というのがわかると思うんです。前例を踏襲するだけで高いポジションについた人もよくいるけど(笑)、こういう新しい事態にちゃんと適応してこれまで以上のものを作り出すということこそ才能。だって、歌手同士が近づいちゃダメ、向かい合って歌うのもダメ、人や物に触るのもダメという状況の中で、観ている人にそれを意識させない妥協のないものを作る。極端なことを言うと今回の演出であと1ミリ近づいたたらアウトみたいなシーンもいっぱいあったんだと思いますよ」
──そしていよいよ、『アルマゲドンの夢』は11月15日、世界初演の日を迎えた。
藤倉大も2週間ぶりに外出をして劇場に向かった。
劇場内は客席も舞台裏も徹底的に消毒されていて、観客は入場時に連絡先などを書いたカードを提出するほか、検温も受ける。クロークもアルコールの販売もなし。かろうじてペットボトル入りの水やお茶がワゴン販売されているぐらいだ。「ブラボー禁止」という張り紙や注意のアナウンスすらある。
なので、通常のオペラ公演のひとつの楽しみである、開演前のざわざわとした熱の入った雰囲気はロビー内にはない。みなどこか緊張感のある顔つきでじっと言葉も発さず開演を待っている。
──オペラ『アルマゲドンの夢』はこういう物語だ。
大都市へ向かう通勤電車の中。若い税理士フォートナムは見知らぬ男クーパーに、その本は夢についての本かと問われる。訝しむフォートナム。クーパーは、夢と現実が入り混じることはないか、自分は夢の中で殺された、別の時間に生きていたのだと畳みかける。
クーパーは美しく聡明な妻ベラと新婚生活を送っていた。ダンスホールへ現れたインスペクターの扇動で、若者たちは戦争への恐怖を煽られ、ジョンソン率いる一派にあっけなく取り込まれてしまう。敢然と立ち向かおうとするベラ。なだめるクーパーを、ベラは自由を求め戦おうと必死で説得する。やがて巨大な飛行機や戦艦が近づき、興奮が渦巻く中、爆撃が始まる。ベラが撃たれ、クーパーの腕の中で息絶える。(新国立劇場サイトより)
前回のインタビューでも触れられていたよう、およそ100年前にH・G・ウェルズが書いた原作が、近年の世界の問題を反映させたオペラの脚本になり、さらにパンデミック禍の現在の状況が演出に大きく影響を与えた。
規制値ぎりぎりの人で埋まった客席の後方には藤倉大の姿も見える。
オープニングは電車内のシーンで始まり、幻想的でダークなオペラの幕があがった。
<藤倉大(ふじくら・だい)プロフィール>
1977年大阪に生まれ、15歳で渡英。数々の作曲賞を受賞。ザルツブルク音楽祭、ルツェルン音楽祭、BBCプロムス、バンベルク響、シカゴ響等から作曲を依頼され、共同委嘱多数。2014年には名古屋フィル、17年にはイル・ド・フランス国立管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに就任。15年にシャンゼリゼ劇場、ローザンヌ歌劇場、リール歌劇場共同委嘱によるオペラ《ソラリス》を世界初演、18年アウグスブルク劇場で新演出上演された。17年にヴェネツィア・ビエンナーレ音楽部門銀獅子賞受賞。同年から東京芸術劇場「ボンクリ・フェス」の芸術監督。