東洋最大の歓楽街・新宿歌舞伎町、その発祥と変遷 ファッションヘルスやホストクラブなどが集中する東洋最大の歓楽街・新宿歌舞伎町(写真は筆者撮影、以下同) (画像1/4) 戦後の焼け野原となった西口近辺に、進駐軍から流れた牛や豚のモツなどを扱う店等が出現。それが「思い出横町」のルーツとなり、いまも、そうした店が軒を連ねる (画像2/4) 戦後の面影を残す木造長屋・ゴールデン街は、かつて売春が行なわれた青線地帯だった (画像3/4) 「四谷新宿馬糞の中で、あやめ咲くとはしをらしい」という唄がある。内藤新宿の旅籠では、さっきまで裏山で芋を掘っていた垢抜けない飯盛女が呼び出され、別名「馬糞女郎」と呼ばれていた(画像:「名所江戸百景・四ツ谷内藤新宿」絵師:歌川広重) (画像4/4) 東洋最大の歓楽街・新宿歌舞伎町、その発祥と変遷 この写真の記事を読む