豊臣秀吉の野望が眠る「肥前名護屋城」歩くとわかる、急速に廃墟になった理由 名護屋城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/8) 肥前名護屋城・本丸への石段。かつて秀吉も踏みしめた石段だ (画像2/8) 玄界灘を望む名護屋城の天守台。430年前、壮麗な五重の天守が対馬海峡を睨んでいた (画像3/8) 天守台は本丸の北側に大きく張り出している (画像4/8) 石垣は崩落が激しく、城跡には廃墟の空しさが漂う (画像5/8) 広大な本丸には秀吉の御殿が建っていた (画像6/8) 石垣はW形に崩され、隅の算木積みも落とされている。意図的な破却がうかがえる (画像7/8) 名護屋城の本丸側から見た天守台 (画像8/8) 豊臣秀吉の野望が眠る「肥前名護屋城」歩くとわかる、急速に廃墟になった理由 この写真の記事を読む