「どうする家康」に登場する石川数正、彼が築いた松本城は本当に名城なのか?
松本城天守 撮影/西股 総生(以下同)
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写真1:月見櫓。善光寺参詣する将軍家光を接待するために増築されたが、参詣計画は取りやめとなり櫓が残った
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写真2:西側正面から見た大天守。軒の出はバラバラ、逓減率もガタガタである
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写真3:姫路城天守。比べてみると松本城の不格好さは一目瞭然。姫路城大天守もよく見ると左右非対称なのだが不格好さは感じない
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写真4:屋根が壁の隅に納まっていない。こんな不細工な天守は他にない
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写真5:この角度からだと四重目が五重目より小さく見えて不安定な印象を受ける。破風を付けることで辛うじて不格好さが目立たなくなっている
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写真6:松本城二ノ丸の土塁と堀。土塁も堀も近世城郭としては並み以下のサイズ
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写真7:もし天守がなかったとしたら、松本城の人気は小諸城や上田城に遠く及ばなかっただろう
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「どうする家康」に登場する石川数正、彼が築いた松本城は本当に名城なのか?
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