見た目は地味だが通好み、毛利輝元が「戦略重視」で築いた広島城が名城の理由 高さや深さではない、幅によって敵を寄せ付けない堀の「防禦構想」とは 2023.3.17(金) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア136 Tweet この写真の記事へ戻る 広島城 萩にある毛利輝元像 広島城は太田川の河口デルタに築かれた 広島城天守は原爆で失われ、戦後になって鉄筋コンクリートで再建された 本丸東面の石垣。あまり高くはないが櫓台がいくつも構えられている 本丸の石垣上から見た二ノ丸。本丸からの射撃で制圧できるようになっている 二ノ丸には櫓や城門も復元されている。背後の官庁街もかつては城内だった 天守の背面にのみ石落としが設けてある。こうしたポイントは見落としたくない