絶体絶命、挙兵に失敗した源頼朝はどうやって生き延びたのか 真鶴の頼朝船出の浜伝承地にて。撮影/西股 総生(以下同) (画像1/6) 頼朝一行は、関東武士たちの崇敬を受けてきた箱根神社へ一旦は逃げ込んだ。後に同社は鎌倉幕府の手厚い庇護を受けることとなる。 (画像2/6) 伊豆山神社。頼朝らが挙兵した後、政子らはここへ避難していたが、危険が迫ったため土肥遠平らの手引きで潜伏先を転々とすることとなった。 (画像3/6) 真鶴半島にある「鵐の窟(しとどのいわや)」伝承地。頼朝一行が潜んだとの伝説のある場所は、湯河原から真鶴一帯に複数箇所ある。 (画像4/6) 頼朝船出の浜伝承地。実際にこの場所から船出した可能性が高く、地形から見て頼朝は画面中央あたりで乗船したものと推定する。ちなみに冒頭の写真は、乗船推定地点から海を眺めたカット。頼朝も、このアングルで水平線を見ていたはずである。 (画像5/6) (画像6/6) 絶体絶命、挙兵に失敗した源頼朝はどうやって生き延びたのか この写真の記事を読む