日本たばこ産業 元代表取締役副社長 新貝 康司氏 1956年、大阪府生まれ。1980年京都大学大学院電子工学科修士課程修了後、日本専売公社(現日本たばこ産業)へ入社。2011年に同社の代表取締役副社長に就任。2018年に同社の代表取締役副社長を退任後、2022年に新貝経営研究所を設立し、同社の代表取締役社長に就任。現在は第一生命ホールディングスなどの社外取締役を務める。

 外部環境の変化に加え、生成AIをはじめとするテクノロジーの進化により、ビジネスに影響を与える要素が次々と登場し、前例が通用しなくなってきている。こうした現代を企業はどのように生き抜き、社会に貢献するべきか。元JT代表取締役副社長で、現在はNTT西日本や第一生命ホールディングスなどの社外取締役などを務める新貝康司氏に、これからの時代の経営者に求められる能力と経験について聞いた。

利益追求だけではない、高まるウェルビーイングの意識

――新貝さんは2018年にJTの代表取締役副社長を退任された後も、リクルートHDやアサヒグループHD、MUFGで社外取締役を歴任し、現在も大企業やスタートアップの社外取締役や顧問を務めておられます。この7年ほどで経営環境はどのように変化したとお感じですか

新貝 難しい時代に入ったと感じています。2018年とは様相が全く異なります。グローバル企業が自由に財を買い、効率的に物をつくり、自由に動かせた時代は終わりつつあります。各国で格差が拡大し、従来であれば中間層に吸収されていた先鋭的な意見が政治に反映されるなど、ナショナリズムが高まってもいます。既存の体制に対するアンチテーゼも感じます。ロシアによるウクライナ侵攻以降、西洋の施策がそれ以外の国から支持を得ているかというと、そうではありません。G7の影響力も低下しています。

 技術もこの7年で大幅に変化しました。生成AIはその代表例ですが、政治も含めた様々な面にポジティブにもネガティブにも影響を及ぼしています。2022年の書籍(『社会課題を事業で解決する課題ドリブン・イノベーション』、共著)の中で地球を金魚鉢に例えましたが、金魚鉢は、それぞれの金魚の利己的な生き方を許容しきれなくなっています。

 この状況ですべての金魚、つまり、人や社会が心身共に健康で心豊かでおれるのか、さらには金魚鉢である他の生物を含む地球もウェルビーイングでいられるのかを考え、具体的な行動に移さなければなりません。それが翻って人類のウェルビーイングに跳ね返るからです。

 かつて、日本の経営者は気候変動対策を含むSDGsへの対応について、それに取り組まないことをリスクだと捉え、リスク・ヘッジのために消極的に取り組んでいる傾向にありましたが、最近は欧米の経営者同様に機会だと認識するようになっています。ただ、その機会とは単なる利益追求の機会にとどめるのではなく、例えばSDGsが目指しているあらゆるものがウェルビーイングにつながるという理想と、目の前の現実のギャップを埋める機会であるべきです。

難しい課題こそ率先して取り組むべき理由

――これからの企業経営者には何が求められますか。

新貝 企業は永遠の未完成品です。波打ち際の砂の城に似ています。放っておいては波に削られますから、つくり続けないとすぐに崩れてしまいます。海岸の砂の城の場合は、その波は海の方からだけ押し寄せてくるわけですが、VUCAと言われる今の時代には、波がどこから襲ってくるか分かりません。

 こうした時代の経営者には、企業の「善い目的は何か」を考え続ける力がより一層求められます。「善い目的」とは野中郁次郎先生がたびたびおっしゃっていたことですが、これを考え続けるためには、常識とされてきたことさえ疑えるように、新たなことを学び続ける姿勢が不可欠です。私自身も常に意識していることですが、自分は永遠の初学者であると認識し、アンラーニングとラーニングに並行して取り組んでいかねばなりません。

 いまや、民主主義やマルクス・ガブリエルの言う倫理資本主義といったものがとても脆弱なものだと自覚しなければならない時代です。冒頭で述べたような過去のグローバリズムも、もはや続くとは考えられません。現在、日本の食料自給率は38%(カロリーベース、2023年)ですが、これは輸入を前提とした結果です。果たして今後もこのままでいいのでしょうか。エネルギーについても同様ですが、過去の延長線上にはない未来を想定して行動することが求められますし、そのためには洞察する力、本質を見極める力が必要です。

――過去にとらわれずに本質を見極める力はどのように身につけることができますか。

新貝 高い知的好奇心を持ち続けることが全てのベースです。「なぜなのか」という疑問が、新たな知識や知恵を身につける動機になるからです。では、どうしたら知的好奇心を持ち続けることができるのか。若いうちからセキュアベースを持ちながら冒険を重ねる(跳ぶ)ことをお勧めします。

 これは2004年に公益財団法人 日本生産性本部が主催した勉強会で、脳科学者の茂木健一郎さんから教わったことですが、探索心旺盛な幼児が熱いものに触ったり、扉に手を挟まれたりしたときに、保護者が「大丈夫だよ」と言って抱擁してあげるのか、「何をやっているの!」と冷たい対応をするかで、心の育まれ方が変わるそうで、前者の場合、この保護者がセキュアベースそのものですが、その子供は生涯にわたって探求する心を持ち続けられるそうなのです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。

 仮にそうした環境で育ってこなかったとしても、自己や自分の得意分野が確立されて、よって立つものがあれば、それがセキュアベースになります。冒険を恐れず、探索心を持ち続け、新たなものにチャレンジすることができます。

 私は天邪鬼で、JTが専売公社だった新人時代も「前例がないからだめだ」と言われると「どうして新しい取り組みや、やり方ではだめなのですか」と言ってしまうタイプでした。さらに課題が複数ある場合は、難しい課題から取り組んできたつもりです。なぜなら、誰にでも簡単に答えが出せるような課題は退屈でもありますし、難しい課題こそが本質であるからです。

 難しいからと先送りにすると、組織は波をかぶった砂の城のように崩れます。また、難しいことには一人では取り組めません。特に今のような時代はそうです。幸いなことに私には小泉(光臣元JT社長)という同志がいました。小泉とは「本田宗一郎さんと藤沢武夫さんのようになれたらいいね」とよく話していました。

これからの経営者に必要な能動的に対話する姿勢

――新貝さんは2022年の野中郁次郎先生との対談(※注)で、「経営者は豊かな一人称で語れなくてはならない」と指摘されています。「豊かな一人称で語る」とは、具体的にはどのようなことでしょうか。

新貝 自分の考えを、自分の言葉で語るということです。私はJTの副社長時代、イントラネットに自分の考えをつづっていました。私は文才に乏しいのですが、それでも誰かに代書してもらうのではなく、自分の言葉で語ることで、伝えたい相手、読んでくれる人の心に刺さるのではないかと考えたからです。

 野中先生からは多くのことを学びましたが、最も印象に残っているのは『賢慮のリーダー』という在り方です。不確実な時代に求められるリーダー像として、自分の実践知を人々に伝承し、組織の中で人財を育成するのが「賢慮型リーダー」です。野中先生はその賢慮型のリーダーに求められる能力として、何が「善いこと」かを判断できる力・本質を把握できる力・共有の場を創造する力・本質を伝える力・目標達成のために組織を動かす力・これらの力を組織に広げる力を挙げておられます。

 私は、ロジカルシンキングやデータドリブン経営というものも、本質、あるいはインテグリティがあって初めて役立つものだと思っています。インテグリティとは高潔さや誠実さ、真摯さなどの集合体だと私は理解していますが、賢慮のリーダーたる経営者である大前提は、このインテグリティです。その上で、知的好奇心をベースに本質を洞察して、賢慮型のリーダーとして、データや情報を扱い経営に生かす必要があります。インテグリティが不在で目先の利益を追求しては、せっかくの宝の山のデータの使い方を誤り、人権を侵害してしまうようなことすらも実際に起きています。

 誰もが同じようにロジカルに考えるのであれば、アウトプットは同じになるはずです。同じものを見たら同じ発想を持つわけですから、紛争も起こりえません。しかし、現実は違います。では、何が違うのか。

 『サピエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏は、人が情報分析をする際や、考察する前にインプットされる情報に課題があることを指摘しています。同じインプットを得たとしても、このファクトや情報は本当なのか、偏ってはいないか、フェイクではないかと疑うことができるかどうかで、アウトプットが変わるのです。この力は、単にロジカル思考だけでは鍛えられないと考えています。自分の経験には限界があります。それをリベラルアーツからの学びで補完し、直感を研ぎ澄ますのです。

 この“感じる”、“直感する”という行為には、感受性が必要で、豊かな感受性を育むには、心を揺さぶられるような体験が関係しているのではないかと私は考えています。

 そうであるならば、これからの経営者には本物に触れるという経験が欠かせないと思います。評論家と経営者の違いは、分析して意見を述べるに留まるか、社員などその意見を聞く人を巻き込み、行動にかりたて、その思いを実現するまでに至るかどうかです。ですから、経営者が学ぶのであれば、評論家よりは経営者、さらには芸術家など、実践者に学ぶほうが良いでしょう。

 また、たとえばせっかく一つの場に集まって学ぶのであれば、他の参加者と積極的に対話をすべきです。劇作家の平田オリザさんは、対話と会話とは異なるとおっしゃっています。一人ひとりの形式知、暗黙知を氷山に喩えましょう。氷山は海面上にその全体の1割しか顔を見せません。9割は海面下にあり見えない存在です。対話とは、海面下に存在する暗黙知をお互いに理解しようとするコミュニケーションです。一方の会話はほぼ同様の海面下の暗黙知を有する人たちの間でなされるコミュニケーションです。

 私たちの世代は、異なる暗黙知を持つ人たちとの対話や、多様性を理解する研さんを必ずしも積んできませんでした。これから勉強会などに参加するのであれば、単に知識を身につけようとするのではなく、能動的に他の参加者との対話を試みて、自分と相手に新たな価値をもたらすような姿勢が必要です。そのプロセスにこそ新たな発想、知識、知恵の創造があるように思います。

 そうした姿勢を持ち続けることで、他者、それも身近にいる他者だけでなく、地球の裏側にいる人、人類を生かしてくれている自然資本への理解・共感に至り、それがまた自らの視点、視野、視座、思考を進化させるという、「善きスパイラル」につながるように感じています。

<PR>

日本生産性本部が主催するセミナー・マネジメント層向け研修のご紹介

・IGPIグループ会長 冨山 和彦氏ほか、多くの企業経営者や有識者が登壇予定「第68回軽井沢トップ・マネジメント・セミナー(2025年7月9日(水)~10日(木)」詳細はこちら

・野中郁次郎氏がプログラムのコンセプトづくりに携わった経営リーダー養成講座「経営者養成講座 Art Of Management Program(2025年8月~)」詳細はこちら

(※注)2022年3月23日に『「善い目的」を事業構想へ―社会課題を事業で解決する課題ドリブン・イノベーション』(生産性出版)の出版を記念し、野中郁次郎氏と新貝康司氏の対談を実施。対談内容の詳細はこちら