母娘で、中宮彰子のもとに出仕

 和泉式部との敦道親王の熱愛は続き、寛弘2年(1005)頃には、一子「石蔵の宮(永覚)」が誕生したとされる。

 しかし、この恋も寛弘4年(1007)10月2日、敦道親王が27歳で薨じたことによって、終わりを告げた。

 和泉式部は30歳になっていた。

 敦道親王を失い、和泉式部は出家も考えたようだが、寛弘5年(1008)頃に『和泉式部日記』を執筆し、寛弘6年(1009)頃に、時の権力者・藤原道長に召し出され、道長の娘・見上愛が演じる中宮彰子(塩野瑛久が演じる一条天皇の中宮)のもとに出仕している。

 この時、橘道貞との間に生まれた娘・小式部内侍も、共に出仕したとするのが定説である(山中裕『人物叢書 和泉式部』)。

 中宮彰子のサロンには、紫式部、凰稀かなめが演じる赤染衛門ら、才媛がすでに仕えていた。

 和泉式部も歌人としての才を買われて、迎えられたとみられている。

 

道長の家司との再婚

 中宮彰子は和泉式部母娘を温かく迎え、和泉式部も和歌を詠み、宮仕えを楽しんだようである。

 やがて、和泉式部は、道長の家司である藤原保昌と再婚する。和泉式部より、20歳近く年上と思われる。

 この藤原保昌の弟は、SNSなどで、毎熊克哉が演じた散楽一座で義賊の「直秀」のモデルの一人ではないかと噂された、藤原保輔である。