4代将軍・藤原(九条)頼経

 執権は泰時の嫡孫・北条経時が19歳で継いだ。

 このとき四代将軍・藤原(九条)頼経は25歳。もはやお飾りではなかった。

 頼経の周りには反執権勢力が形成されていた。

 頼経派(将軍派)の中心人物は、三浦義村の子・泰村と光村の兄弟らと、西本たけるが演じた義時の次男・北条朝時(母は比企朝宗の娘・姫の前。ドラマでは堀田真由が演じた比奈)ら名越流北条である。

 名越流とは朝時を祖とする北条氏の一族だ。朝時が、祖父にあたる坂東彌十郎が演じた北条時政の名越亭を継承したことから、名越流と称される。

 正室から産まれた朝時は、自分こそ嫡流だという意識が強く、泰時や得宗家(北条氏の家督)に対抗意識を燃やしていたとされる。

 

将軍交代

 4代執権となった北条経時は、寛元2年(1244)、九条頼経に将軍の座を、頼経の子・頼嗣に譲らせている。

 頼経の勢力を削るためだったと思われるが、頼経は将軍を退いた後も、鎌倉を離れなかった。頼経は5代将軍となった頼嗣を後見し、「大殿」として隠然たる存在感を示し続けた。

 一方、経時は病弱であったため、寛元4年(1246)3月、執権を弟の北条時頼に譲り同年閨4月、23歳で卒去した。

 20歳で執権となった時頼は、就任してすぐに、反執権勢力と対決する。「寛元の政変」、あるいは「宮騒動(『鎌倉年代記裏書』)」と呼ばれる内訌である。