西陣織の老舗「細尾」12代目の細尾真孝。現代美術家やラグジュアリーブランドとのコラボレーションからアカデミックなプロジェクトまで、織物の可能性を次々と発信、著書『日本の美意識で世界初に挑む』を上梓した彼の快進撃の原点を、中野香織さんが探ります。
文=中野香織
とどまるところを知らない進化と拡張
細尾真孝さんに初めてお会いしたのは、2013年11月である。西陣織の老舗の第12代目にあたる細尾さんが展開するHouse of Hosooの一周年記念パーティーに招かれた時だった。
英Wallpaperはじめ各国のジャーナリスト、京都の若手デザイナーやヴァージルら音楽関係者、海外の著名クリエイティブディレクターらの熱気でにぎわっていた。西陣織で仕立てたスーツを着てゲストをもてなす細尾真孝は、すでに”Beyond Kyoto(京都を超えて)”な存在で、「世界のHOSOO」を視野に入れていた。老舗の後継ぎ6人衆のユニット”GO ON”の活動も始まったばかりで、面白いことが起きそうだとワクワクしたことを覚えている。
あれから8年。細尾さんの進化と拡張はとどまるところを知らない。斜陽だった西陣織産業を復活させ、日本発の正統派ラグジュアリーとしての西陣織の価値を、ハイブランドや高級ホテルとのコラボを通して世界に認知させた。
そればかりではない。日本各地の繊維を研究してその価値を学術的に伝えたり、古代染色を研究したりというアカデミックなプロジェクトHOSOO STUDIESを展開している。
また、世界の一流アーティストと協働することで西陣織のアートとしての価値、ひいては未来的な価値を創造し続けている。MITメディアラボのディレクターズフェローにも就任した。さらに、織物を「家」として用いるという、突拍子もないように見える妄想を実現しようと動いている。
そのすべての過程で細尾さんは「美」に投資し続けており、結果、彼の美意識の表現の集大成でもあるHosoo Flagshop Storeは建築やデザインの領域での数々の国際的アワードを受賞し、それがブランドの本質を伝えるPRとして機能するという好循環を起こしている。
「京都を超える」どころか、織物の世界を超え、アカデミア、アート、ラグジュアリービジネス、伝統工芸、環境、バイオテクノロジー、建築の領域を巻き込み、今や日本の文化発信を担うキーパーソンの一人として講演や対談にひっぱりだこである。
陳腐な表現で恐縮ながら、まさに目を見張るような成長と成果である。本書『日本の美意識で世界初に挑む』では、その発展がいかにしてもたらされたのかが、ビジネスの勢いそのままの言葉のほとばしりによりテンポよく描かれる。文章に流れるリズムの快さは、彼がミュージシャンとして活動していたという経歴とも無関係ではないだろう。
美しいものを扱う人の所作は、美しく丁寧になる
HOSOOの快進撃は、ただ情熱的に突進することでもたらされたわけではない。いくつかの試みの大失敗があり、その原因を冷徹に分析・考察し、海外需要に応えるために前例がない機械であっても迅速に作り、固定観念を壊しながらも本質を見失わなかった柔軟な行動力の当然の帰結だということがわかる。なによりも、全てのプロセスにおいて「最高の美」の価値を信じて誇り高くそれを貫いてきた信念の賜物であることが、熱い読後感とともに理解できる。
具体的にどのような過程を経て海外進出に成功したのかは本書を読んでいただくとしても、細尾さんが成功させた方法をなぞることで他人も同じように成功できるわけではない。
幼少のころから西陣織の機織りの音を聞いて育ち、ミュージシャンとしての経験を積んできたことで「フィーチャリング」という手法に感覚的ななじみがあり、最高の美を創ることに対する執念と反骨精神を共存させてきた個性を持つ人だからこその発想であり、方法だった。
私たちが学ぶべきは、表層的なイノベーションのハウツーではなく、彼が失敗も含めた自分の過去と家業を含むルーツを真正面から見据え、まるごと取り込んで世界と向き合う強みとしていったその姿勢であろう。
職人たちの美意識の育て方に関するエピソードが示唆に富む。「石のテクスチャーを、どちらの職人が織物でより表現できるか」というバトルをすることで、楽しみながらトレーニングするという。
効率のためではなく、究極の美を目指すためのトレーニングをあらゆる場面で積み重ねる。そんな美への投資がもたらすリターンはといえば、社員の意識の変容、人材獲得、広告不要のPR効果。なんと痛快なことだろう。
美しいものを扱う人の所作は、美しく丁寧になる。そんな人が増えれば、美しい社会が生まれる。美しく生きることを心がけている人は、自分の価値を低くするような行動もしない。「人間がもつ美意識こそが、ビジネスのビジョン」と言い切る細尾真孝は、美を第一義におくことがビジネスにどのように働くのかという具体例を見せてくれたばかりか、美がどのように社会や人の幸福に貢献するのかということも論理的に示してくれる。
何百年変わらぬ高級な伝統工芸品を作り続けることに意味が宿るわけでは必ずしもない。作り手のオリジンや内的な動機を通して大胆に現代的に生まれ変わったラグジュアリーを発信することが、社会に美しい豊さをもたらし、ひいては日本の文化的な価値を高めていくことにもつながる。そんな例の一つを見る思いがする。