文=小松めぐみ 写真=山下亮一
店名の由来は「ゴリオ爺さん」
このコーナー「たべものがたり」では、物語の中に登場する料理を都内の飲食店で取材している。今回はいつもと趣向を変え、飲食店側から物語をたどってみた。店は日本を代表する炉窯炭焼ステーキ店「築地STEAK 哥利歐(ゴリオ)」。哥利歐の由来はバルザックの小説「ゴリオ爺さん」だ。
さまざまな飲食店を訪れていると、「名は体を表す」ことを実感する時がある。店名の由来を知った瞬間、店のイメージが鮮明になったりするからだ。たとえば「手打ち蕎麦じゆうさん」の店名は、店の前を走る目白通りの旧名「13間(じゅうさんけん)道路」に由来する(13間=23.5m=目白通りの道幅)。そのことが分かると、この蕎麦店が昔から地元に根ざしているイメージが伝わってくる。また「桃の木」という中国料理店は、「桃の木」が「桃李成蹊」という古事成語にちなんでいる。それを知ると、店内の優雅な内装と、桃の花を愛でる人々の優美なイメージが量なる。では「築地STEAK 哥利歐」の場合はどうだろう? 「ゴリオ爺さん」の作者バルザックは、美食家として知られた19世紀のフランスの文豪だ。そこから連想するクラシックな美食家のイメージは、重厚な家具や調度品に囲まれた店内の雰囲気とぴったり一致する。
しかし、なぜバルザックの著書の中でも「ゴリオ爺さん」が選ばれたのか? ふと疑問が湧いてきたので「ゴリオ爺さん」を読んでみると、前半は登場人物の紹介が延々と続いて単調だったが、あるとき霧が晴れたように面白くなった。金、出世、野心をめぐる親子や男女の姿は、現代にも通じるところが多く、深い感慨にとらわれる。とはいえ、「ゴリオ爺さん」が店名に選ばれた謎は、深まるばかりだった。この作品に描かれる食の場面は少なく、それも下宿の慎ましい食卓風景だったのだ。
炉窯で焼くステーキ
そこで今度は、「築地STEAK 哥利歐」に行ってみた。クラシックな雰囲気が漂う店内の厨房には、通路から見える位置に炉窯がある。この店特有の炉窯は、看板の但馬牛のステーキを焼くためのものだ。但馬牛はサーロインやフィレの他に、その日の赤身希少部位(イチボやランプ)も用意されており、焼き加減は10段階。その中から好みの部位と焼き加減を選ぶと、おもむろに前菜が運ばれ、おまかせコースが始まる。2月の前菜の一例は「神戸牛赤身肉のマリネ」や「新筍大蛤のナージュ」、定番の「自家高温スモークサーモン」など。いずれも食材の高いクオリティを生かした、潔い料理だ。主役のステーキは、炉窯の輻射熱で全方向から熱が入れられるため、見事にふっくらとした焼き上がり。そのなめらかな口溶けと旨味、香りは、まさに格別だ。しかもサーロインのようにサシの多い部位でも食べ疲れず、最後までうっとりと楽しめる。この稀有な美味の魅力に憑かれると、次回は違う焼き加減で……などと、果てしなく欲望が湧いてくる。が、いま一度、店名と「ゴリオ爺さん」の関係に迫ってみよう。ヒントを探して創業の歴史をたどると、「築地STEAK 哥利歐」の創業は1984年。当時から評判の「麤皮(あらがわ)」の分店として創業したのが始まりだ。
「麤」という字は漢検1級に出題されるそうだが、小説のタイトル以外で見かけることは少ない。そう、「麤皮」もバルザックにちなんだ店名なのだ。平仮名で「あら皮―欲望の哲学」とも表記されるその作品は、バルザックの初期の哲学的幻想小説。注目すべきは、「麤皮」と「ゴリオ爺さん」に同じ人物が登場することだ。その人物(=ラスティニャック)は、「あら皮」では老人として、「ゴリオ爺さん」では野心家の純粋な学生として登場する。ここに店名との繋がりを見出すなら、若いお客様は「築地STEAK 哥利歐」へ、年齢を重ねたら「麤皮」へ、ということか? 命名の真意は定かでないが、私は老女になったら「麤皮」でステーキを味わってみたい。「築地STEAK 哥利歐」のステーキは、そう思わせるほど心に残る美味しさだ。