文・写真=竹原あき子
5月11日からマスク着用が義務に
コロナ感染防止のために、外出禁止令が発令され、観光客が消え、特別の理由がなければ、一般市民が外に出るのは1日に1回の買物と、犬の散歩だけに制限された。ジョギングも禁止になり、パリは表情を変えた。
フランスの携帯電話会社オレンジがスマートフォンを対象に行った調査では、3月半ばには契約者の17%が郊外にいる結果になり、その後、山や海岸の別荘にいる市民数がわかった。どうやら人口の4分の1くらいはパリにいないらしい。ということは、コロナで外出禁止になってから、3月から4月のパリに住んでいるのは、家庭の事情があり、市内に留まらざるをえない人だけということになる。特に高齢者や幼い子供がいる家庭、近くに働ける場がある人々だけだろう。
16戸ある我がアパートのゴミ箱を見ても、その事がよくわかる。3月18日ころまでは生ゴミの量はいつもの通りだったが、20日をすぎるころから減り始め、4月には生ゴミ箱の底がみえるようになった。人も車も少なくなって空気は澄み、騒音もなく、パリは皮肉にも健康的な街になった。
マクロン大統領は4月13日に、外出禁止は5月11日まで延長し,同時にこの日からバスや列車あるいは公共の場でのマスク着用を義務付ける、と宣言した。国民のだれもがマスクをつけるようになる日が近い。
2003年に中国でMERS(コロナウィルスによる重症急性呼吸器症候群)が発祥したとき、3人のアジア人がマスクをしてパリの地下鉄に乗った。すると同じ車両にいた乗客は、すべてとなりの車両に移るという出来事があった。それほどフランス人にとってマスク姿は異質・異様なものであり、インフルエンザなどの感染症が流行っていても、マスクを着ける習慣はフランス人には無かった。不思議なことに今回のCOVID-19では、流行の初期からすでにマスク姿が見られるようになり、買物にでかける市民の5人に3人は、男も女も、マスクを着けるようになった。
オートクチュールのクチュリエが手作りマスク運動を先導
ある日突然フランス医療界の重鎮は、「日本と韓国に被害がすくないのは、彼らにはマスクを着けて、自分と他人に迷惑をかけない文化があるからではないか。だからフランスにも他人を思いやるマスク文化を取り入れよう」、と発言した。「マスクは感染予防には何の役にも立たない」との公式見解を、突然覆したのだ。
「自分の予防になり、他人への思いやりにもなる」、という言葉が国民の心を掴んだ。そして、マスク姿が増え、買えないマスクは自分で作ろうという人が増えた。民間ボランティア団体が手作りのマスクを医療機関に届け、そのマスクを嬉しそうに着ける姿が報道されている。
シャネルのクチュリエの一人が始めたTissuniグループは手づくりマスク運動の旗手だが、「ファッションの街、パリのクチュリエのマスクは命を救う」、と活動の輪を広げつつある。
マスク着用義務の裏には、7年前の痛恨の失敗があった。HiNi型ウイルスの防衛に膨大な予算をつぎ込んで、マスクをはじめ、防護服などを買い保管していたのだが、ヨーロッパにはさほどの被害がなく、その保管費用が無駄だと、管理機関を変更し、必要と思われる地方に分配した。ところが今回の事件で、あるはずの資材がないことが露呈した。2億5千万枚保管していたはずのマスクもない。だから重症患者を受け入れた病院の医療現場での混乱が続いた。
急遽マスクを初め、防護用品を海外に発注したが到着が遅れ、今のところ薬局に並ぶまでには至っていない。病院を最優先にし、国民を安心させる時間を稼ぎ、5月だったら、なんとか必要な枚数がフランスにそろっているはず、というのが、着用義務開始の日時設定の背景だ。
マスクをはじめ、感染防護用品は消耗品だ。4時間毎に取り替える必要がある防護用品を、これから発生するかもしれない伝染病に供えて、どれだけ、どこに用意するか、政策を決めなければならない。この大失策に懲りたフランスは、感染防護用品をメイド・イン・フランスで賄う方針をたてたところだ。
広がる連帯の声
医療現場は最も感染リスクに晒される場だが、商店で感染に気をつけなければならないのはレジ係だ。客は1メートルの距離を保って行列にならび互いに防御しているが、レジ係も手袋とマスクを着用し、透明なプラスチックの防護板を置いて感染を防ごうとしている。レジ係の死亡者をだしたスーパーマーケット、カルフールの防御は完璧だ。当然カードでの支払いが優先だが、現金での支払いも受け付ける。パリのシンボルの1つでもある、新聞、地図、カードなどを販売するキオスクのレジでも、店員はマスクと手袋、透明防護板で感染予防を怠らない。小型の店に入るのは1人だけ。後は1メートル間隔で店の前に行列をつくる。
フランス人がこれほど礼儀正しく、親切だったのか、と驚く。歩道を歩いていても、すれ違うのに道を譲り、店舗の前で行列をしても、横から割り込む人はいない。しかも、笑顔でどうぞお先にと順番を譲る事さえある。コロナウイルスは戦争に例えられる不幸だが、その恐怖の後には、これまでとは違う生き方がある、と誰もが考えているにちがいない。
毎日、夕刻8時になると、アパートの部屋の明かりが灯り、人影が窓に近づき、窓からありがとうの声と、拍手が響き、医師、看護婦、救急隊への感謝が2分続く。窓の前に誰かがいるわけではない。イタリアで始まったというが、献身的に危険と戦う人々への国民の連帯の声は、先が読めないこの戦いの中での救いの一つだ。