写真・文=竹原あき子
管理国家への第一歩が懸念される
家から出るたびに外出証明書の日付と時間を書き変えるのは面倒だし、エコではない、との批判があり、パリでは4月6日からスマートフォンに証明書をダウンロードして、必要な項目にチェックをいれる方式が採用された。
外出できる項目も2点追加された。
これまでは、
1 テレワークができない仕事
2 日常必需品の買い物
3 遠隔診断ではできない診療
4 介助と子供のお迎え、1キロ以内、一日1回、1時間以内の1人での運動、共同生活する人との散歩、動物の散歩
だけ、だったが、
5 行政や司法当局からの召還
6 社会貢献活動への参加
が追加された。
この項目にチェックを入れ、氏名、生年月日、出生国、住所、外出日と時間を書き込む。証明書は紙に手書きでもいい、という配慮はされているが、どちらにせよ、日時を入れてからの外出では、不便このうえない。
警察官に呼び止められときには、証明書あるいはスマホを見せれば、ほとんど問題なく通行できる。だが、スマホになって困るのは、外出時刻から1時間すぎると、記入した数字が消えることだ。これまでならあまり問題にならなかった外出時間を、厳格に守らなければ違反になり、新たな管理体制の元に入った。
スマホがフランスのコロナ対策に採用されたのは、シンガポール、韓国、台湾などで感染拡大阻止に効果があったからだ。
これらの国々に対しては、早期に対策を打った行政判断こそ見習うべきだが、実際はスマホで感染者との接触経路を追い、感染者が発病する前に保護隔離できたことに注目が集まる。個人情報を丸見えにする追跡ソフトをスマホに導入するかどうかは、自由、平等、友愛、を旗印にする民主国家フランスにとって正念場の議論になるだろう。スマホ利用の外出証明の運用が、管理国家の一里塚にならなければいいのだが。
安全パイの外出セット
外出できる6項目の範囲でも、2番目の買い物は大きな袋を持っていれば外出目的がハッキリわかるから、警察は呼び止めない。4番目の散歩でいちばん目立たず安全に長く外にいるコツがあることが、市民の行動から見えてきた。犬、子供、遊具セットが安全のコツだろう。この3点の2つがそろっていれば、証明書をみせなさい、と警察は言わない。
朝から夕方まで主人と一緒に散歩できるなんて思いもよらなかった、と犬が感謝していることが伝わるほど、犬の姿が目立つ。子供と犬と親、子供と遊具と親、子供と父親、老人と犬、のセットがどうやら監視回避のコツだ。
観光客を引き算して寂しくなったパリ市と市民の素顔は、車がほとんど走らない道路、橋の上、広場を背景に、感染に怯えながら暮らしているとは想像できないほど穏やかだ。いや、馬車しかなかった18世紀のパリの路上ではしゃぐ子供の姿が、コロナのせいで蘇える。とはいえ、外出禁止措置以来、妻や子供へのDVのため、警察の出動回数がうなぎ上りになった、との報道は続いている。
安心を市民に。ゴミ収集と掃除を怠らない
列車、バス、などが運休したり、役所や銀行、郵便局の休みが増えたり、など市民の不便は多い。中でもスキャンダルだったのは、銀行と郵便局のATMに現金を補充する職員が休みをとったことだ。銀行はすぐ回復したが、郵便局は回復に時間がかかり、現金が引き出せなくなった市民は大いに迷惑した。感染防止に役立つとの思いもあって、スマホやカードでの決済が増えたことは確かだ。
とはいえ、市民の衛生にかかわるパリ市の職務に抜かりはなかった。ゴミ収集、路面清掃、大型ゴミの収集などは、ゴミが極端に少なくなり、空のゴミ箱が並んでいても、通常通りに勤務清掃し、職員は病院で働く看護士とほぼ同じ防護服で現れた。
地下鉄、国鉄、などの公務員組合のストライキでゴミ収集が滞り、溢れるゴミに悩んだパリ市民にとって驚きの経験だ。
「ありがとう」の連帯バス停広告
フランスの広告代理店、JCドコーは1964年の創業以来経験しなかった減益に陥った。商業活動が止まった以上、商品やイベントの広告掲載の必要は無くなる。どの企業からもオファーがなければ自社広告でもいい。まさに戦争と表現されたコロナウイルスとの戦いの最中、企業姿勢を表明するチャンスだ。
マクロン大統領が外出禁止令を発令してから1週間目の3月23日から、JCドコーはパリのバス停5000カ所に組み込んだ自社の広告面に、動画ではなく今回は静止画で「家にいましょう。鼻をかんだら紙は捨てよう、互いに近づかないで」というコロナウイルスへの注意と、「ありがとう。お医者さん看護婦さんをいたわって、皆で支援しよう」という医療従事者に感謝する連帯のメッセージを掲示した。
多くても3人しか乗っていないが、バスは定期運行されており、路上を走るバスの姿は市民の孤独感をまぎらわせる。だがバス停にバスを待つ人影はほとんどない。
籠る家がない路上生活者の蟄居
家に籠れ、と言われても、籠る家がない路上生活者が大統領命令にどう従うか、は大問題だった。路上生活者はパリだけでも3500〜5000人はいる、とされている。通行人が消えれば、収入の道も絶たれる。
路上生活者が寒い冬に凍死しないよう、教会や空き校舎などが寝場所として提供されていたが、コロナウィルスへの感染予防の観点からは、安全どころか感染の危険が増すだけだ。
そこで、市や民間団体は、感染する危険がより少ない、空き室が目立つホテルの部屋を提供することにした。アコーホテルズはパリで200室、フランス国内の他の地域で600室を路上生活者に提供することになった。パリ市の目標は2000室だという。だが施設に行きたくない人々は、いつもの場所でいつものように過ごす。
海岸で波が寄せたり引いたりする度に、見えたり見えなかったりする岩がある。路上生活者も、浅瀬の岩のように、人の波が引いた後にはそこにいることが際立つ。日だまりができ、地下鉄の暖かい空気が吹き出る場所は最高だというが、パリにはそんな場所は数多い。
外出禁止令から3週間目の夕方、暖かい空気を前にして座っている路上生活者の横に車が止まり、若い男性が透明な袋をトランクから出して女性の前に置いた。挨拶があったかどうか聞き漏らしたが、初めて見せた彼女の笑顔が消えないうちに、車は走り去った。パリ市の食料援助だった。
フランスは農業国であり、自給自足を看板にかかげてきた。マクロン大統領は4月22日にブルターニュ地方の農家で『ありがとう。農場はフランスを支えてくれました。国民の誇りです』と挨拶したが、外出禁止令とともに国境を閉じたのも、食品の流通を潤滑にするよう事前に業界に通達し、国民に食料の心配はないことをわからせていた結果だ。
とはいえ、外出禁止発令後の最初の1週間は、パリ市内で小麦粉、バター、砂糖などが不足していた。回復までには数日かかったが、暇だからパンとケーキを家でつくる家庭(料理好き男性は多い)が増えたからだった。
パリはペストも、革命も、ナチによる占拠も、学生の占拠も、テロも、ノートルダム寺院火災も、すべてを見てきた。だが、今パリはこれまでとは異質な、市民全てが部屋に閉じこもる姿勢で、前代未聞の見えない敵に対峙している。だれもがこの後には、前とは全く違った社会が来る、と楽観しているのは、「飢え」の恐怖と遠いところに身を置いている安心感ゆえだ。