文=勝尾岳彦
ITビジネスを代表する経営者たちが訪問
昨年5月末、amazon創業者のジェフ・ベゾス、ピークトラベル創業者のルズワナ・バシール、セールスフォース創業者のマーク・ベニオフなど、シリコンバレーを代表する経営者たち16人がイタリアの高級ファッションブランド、ブルネロ クチネリの本社があるイタリア中部ウンブリア州ペルージャ近郊のソロメオを訪れた。
ブルネロ・クチネリ氏がこのイタリアの片田舎の小さな村で実践する、地域と一体となった人間主義的経営の様子を実際に自分の目で確かめ、関わる人たちや、地域全体が明るい未来を描くことができる、サステナブルな経営の在り方について、語り合うためだ。
ブルネロ クチネリの創業者、ブルネロ・クチネリ氏は1978年にカラー・カシミヤを製造する小さな会社をペルージャ近郊のコルチャーノ市エッレーラに立ち上げた。それまで地味な色が中心だったカシミアの世界にイノベーションをもたらし、一代で世界中のセレブリティに愛用されるラグジャリーブランドを築いた。
このブランドが世界中で注目され高い評価を受けているのは、ただ単にこの地方のニット製品製造の伝統と職人技に裏付けられた高品質のモノづくりを行なっているからではない。経営理念として「人間主義的経営」を掲げ、それを実践して得た利益を地域に還元しているからだ。
経営が軌道に乗った1985年、クチネリ氏は愛妻フェデリカさんの出身地であるソロメオ村にあった14世紀の古城を購入し、本社をここに移した。イタリアのファッションビジネスの中心であるミラノに本社を移転する選択肢もあっただろう。しかし、クチネリ氏は「人間中心主義」の夢を実現する場として、あえてこの小さな村を選んだ。それはクチネリ氏の夢が企業経営にとどまらず、地域の再生まで視野に入れたものだったからだ。それ以降クチネリ夫妻はコツコツとソロメオ村の復興に取り組み、古城、教会、住民の住居を修復し、アートフォーラム(哲学の庭、劇場、ライブラリー)の造営を行ってきた。
工場を買い取り、修復して新社屋に
2013年にはクチネリ社のコア・コンピータンスの一つとも言える高度な職人技術を継承する人材を育てるために「ソロメオ職人学校」を開設。同じ年に村の麓にある、使われていなかった他社の工場を買い取り、修復して新社屋とした。
2014年に復興計画は第二段階に入り、「美に関するプロジェクト」として「産業公園」、「スポーツ・運動公園」、「農業公園」の整備が進められ、2018年に完成した。産業公園の中には本社が含まれており、スポーツ・運動公園にはサッカー場が、農業公園にはワイナリーが整備されている。農業公園ではオリーブ、ブドウ、小麦、トウモロコシ、アルファルファ、アプリコット、桃、アーモンド、クルミ、梨などが栽培され、ここで栽培された作物はや収穫されたオリーブから絞ったオリーブオイルやブドウから醸造したワインは社員食堂で消費されるほか、主に社員やその家族など地域で消費される。
現在クチネリグループの従業員は1700人を超え、外部の請負業者が雇用する人は3000人を数える。従業員を大事にする同社では、イタリアの平均賃金より約20%高い給料を支払い、社員食堂では地元の食材を地元の主婦が調理した、ウンブリア地方の伝統料理が振舞われる。ブルネロ クチネリが生み出す地元への経済波及効果は大きい。しかも、売り上げの約8割は海外で生み出されたもので、イタリア中部の小さな村を本拠に、世界を相手にビジネスを展開している。
一見理想主義とも見える「人間主義的経営」をクチネリ氏が実践している原点には、高校生時代の自身の経験がある。クチネリ氏の家はもともと農家で、父親はこの地方で農業を営んでいた。クチネリ氏が高校生の時に街に出て工場で働き始めた父は、毎日疲れ果てて仕事から戻ってきた。その時にクチネリ氏はこういう働き方は人間の尊厳を損なっているのではないか、と強く感じたという。
人間的尊厳と労働の尊さを感じる環境づくり
自然と切り離された工場の環境の中での人間性を損なう労働のあり方を間近に見たクチネリ氏にとって、働く人たちが人間的尊厳と労働の尊さを感じる環境をつくりたい。」という夢を実現するために導き出した「人間主義的経営」は、地元ソロメオの自然や文化と切り離して考えることは不可能だった。
さらに、クチネリブランドの特色である独自の色使いやデザインにとって、イタリア、特に地元ウンブリアの歴史や文化、自然風土は発想の源でもある。そして、この地域に根付いていたニット産業やサルトリア(テーラリング技術)の職人技もブルネロ クチネリというブランドの評価を支えている大きな要素の1つだ。
今、ファッション業界においてもエコロジーやサステナビリティーが大きな経営課題となっている。だが、環境に優しい素材や染料を使ったり、リサイクルを促すだけでは十分にサステナブルとは言えなくなってきている。
倫理的消費を選択する人が増えている中、生産を担う人たちの健康や福祉、企業が立地する地域の将来まで視野に入れて考えないと、本当に持続可能なビジネスは成立しない。
そういう視点に立てば、ブルネロ クチネリというブランドは、すでに40年前からサステナブルな経営を実践し、そのおかげで成功を収めてきたと言える。IT業界のトップ経営者たちがソロメオを訪れたのは、その事を理解しているからだ。