文= 鈴木文彦
ファッションのラグジュアリーブランドとワインは、遠い存在ではない。あるいは世界的に名の通ったラグジュアリーブランドでワインとまったく無関係、というブランドを見つけることの方が難しいかもしれない。ラグジュアリーブランドが手掛けるワインは、ブランドの他のプロダクトと同様にラグジュアリーだ。
たとえば近年、ぐんぐんと評価を上げているボルドーの2つのワイナリーは、いずれもシャネルがオーナーだ。1つは、シャトーローザンセグラ。もう1つがシャトーカノン。10月中旬、ラグビーワールドカップの応援にやってきた、この2つのワイナリーを監督する、ジェネラルマネージャー、ニコラ オードベールに筆者は会うことができた。
そこで今回は、シャネルのワインを紹介させていただきたい。
そして、その話に入る前に、まず、件のワイナリーについて簡単に解説したい。
シャトーローザンセグラはボルドーのジロンド川を挟んで左岸、マルゴーのワイナリーだ。歴史の始まり1661年。1855年のメドック地方の赤ワインの格付けでは第2級とされた。マルゴーにおける第1級はシャトー・マルゴーだ。
この150年以上前の格付けは、現在においても非常に重要な意味を持つけれど、等級が高い=ワインが優れている、と完全にイコールで結ぶことはできない。等級の高いシャトーはブドウ栽培に適した優れた畑を持ち、環境に恵まれ、そして、独自のノウハウを持つ。一方、こうした時間と自然の恵みだけでは、良質なワインの生産は確約されない。
事実、ボルドー全体では6000はあるシャトーのうちで、第2級という、メドックで1級から5級まで、格付けされたたった61のシャトーの中で、たった5つの1級に次ぐ、たった14の2級の一つである、シャトーローザンセグラの評価は1960年代、70年代においては芳しいものではなかった。
シャトーの評価が高まったのは1980年代。オーナーが変わって、ワイン醸造設備の見直し、現代化、ブドウの選別の厳密化などを行ってからだ。シャネルがこのシャトーを手に入れたのは1994年。
シャトーカノンの方は、ジロンド川を挟んで右岸の、サンテミリオンのシャトー。こちらはメドックとは格付けの方法が違っていて、1954年に制定されて、10年ごとに見直しがある格付け方法に従い、シャトーカノンはプルミエ・グラン・クリュ・クラッセのBに入る。サンテミリオンでは、Aが4シャトーあって、Bが14シャトー、次いでグラン・クリュ・クラッセに格付けされるシャトーが64、と格付けは3段階に分かれている。
シャトーカノンは、1760年に、当時のフランス海軍のジャック・カノンがオーナーとなって、ブドウ畑を整備したのが始まりとされる。シャネルのオーナー家の所有となったのが1996年。以前に評価が低かった、というようなことはないにしても、シャトーカノンはこれ以降、評価が大いに上がっている。
ローザンセグラについては、シャネルがオーナーになってから劇的に評価を高めているといえるかもしれない。いまや、1級シャトーに伍するとすらいわれるからだ。
つまり何を言いたいのかというと、ボルドーの高級なワインは、歴史、自然の恵みに加えて、投資が、高い品質を実現する。そしてシャネルは、ワインに投資をしている。ワインは農業だから、投資の結果が出るのはかなり気の長い話になる。ブドウは年に1度しかできない。ブドウの樹は、20年、30年たって、ようやくよい果実を実らせる。現役のワイン用ブドウ樹の中には、100年を超えるような樹齢の樹すらある。20世紀の終わり頃始まったシャネルのワインへの投資は、20年ほどたった現在、成果を見せはじめている。ただ、本当に結果が出るのは、おそらくもっと先だ。
畑、醸造設備、貯蔵施設、投資すべき先はたくさんある。そして忘れてはならないのは、ブドウを管理し、ワインを醸造する人への投資とその人がなす事への信頼と理解だ。
シャネル時代のローザンセグラとシャトーカノンの双方の支配人だったのは、ジョン コラサ、という人物。彼がシャネルのシャトー躍進にとってなくてはならない役割を果たした。2014年、そのジョン コラサは、ニコラ オードベールという人物を共同支配人とした。そして、2015年、自身は引退して、以降、ニコラ オードベールが、両シャトーのトップ、ジェネラル マネージャーという立場にある。
筆者が出会ったのは、このニコラ オードベールだ。
ニコラ オードベールの経歴は華やかだ。1975年、フランスの南東 トゥーロン生まれ。1999年にモンペリエの農学高等学校を卒業したエリートで、アルゼンチンの「テラザス」、シャンパーニュの「モエ・エ・シャンドン」「クリュッグ」「ヴーヴ・クリコ」で経験を積んだ。2006年からは、テラザスにてテラザスと、サンテミリオンのプルミエ・グラン・クリュ・クラッセA格付けの「シュヴァル・ブラン」との協業によるワイン「シュヴァル・デ・アンデス」のトップだった。
ニコラ オードベールが珍しいのは、たしかにシャンパーニュやボルドーに浅からぬ縁があるとはいえ、南米というワインの新天地からワインの伝統産地ボルドーへと行ったことだ。オールドワールドなどと呼ばれる、ヨーロッパの名門で経験を積んだワインの造り手が、新天地を求めてチリやアメリカ、ニュージーランドなどで名声を高めることの方が、どちらかといえば普通だ。ニコラ オードベールはその逆なのだ。
ただ、これについては、「たしかにそうかもしれないけれど、ボルドーといっても、右岸と左岸で全然ちがう2つのシャトー両方に携われるのはエキサイティングだ」と、本人はあまり気にしてはいない様子だった。
「ローザンセグラはモザイクのように変化に富んだ土壌で、日照条件もさまざま。同じシャトーの畑といっても、どこで育ったブドウかで全然違う。それらを細かく別々に管理して、いつ収穫するかも、区画によって違う。そして、それぞれを別々に醸造して、そこから、1つのワインへとブレンドしていく。だからオーケストラなんだ。一方、カノンはもっとピュアでストレート。だからといって、これが簡単というわけじゃない。音楽でいうなら、こちらはもっと、小編成の、ピアノとヴァイオリンといったものに近い」
両シャトーの2013年ヴィンテージと2016年ヴィンテージを試飲させてくれた。2013年はニコラ オードベールの就任前だし、ボルドーの赤ワインにとっては必ずしも優れた年ではない。いずれのシャトーの作品もフレッシュな印象が強い。とりわけ、シャトーカノンの2013年は、クールでモダンだった。
一方の2016年は、現状、最新ヴィンテージといっていいものだけれど、ボルドーの赤ワインは当たり年だ。日照に恵まれ、よく熟したブドウでありながら、ローザンセグラやカノンのようなボルドーのトップシャトーの作品は、美しい酸味も十分に表現している。いずれも見事、としかいいようがないのが2016年だ。
「2013年は難しい年だったけれど、だから腕の見せどころでもある。一方16年の方は、熟度はもちろん十分ある。むしろ、どうやって酸を残し、精密な表現をするか、が勝負で、あえてやや早めに収穫した区画もある。結果は? これはベンチマークと言える作品だと思っている」
ちなみに、2018年、2019年も期待できるから、リリースを楽しみにしてほしいと、ニコラオードベールは誇るのだった。
現在のボルドーにおいて、あるいは、世界のリーディングワインにおいては、フルボディとよばれる力強いワインであっても、フレッシュで精密な表現が問われる。
温暖化が進む昨今において、熟したブドウを収穫する、というのはそこまで難儀なことではなく、むしろ、熟したブドウの甘み、果実の凝縮感と酸味のフレッシュさのバランスをどこでとるか、過熟にならないようにするのが、評価を分ける。
そして、それを達成したワインは、まろやかな口当たりと、口の中で花開く複雑な表現、そして、余韻に次のひとくちを誘う、個性を表現する。
栽培から醸造まで、高級な機械式腕時計を仕上げるがごとしの、精密な人間の技術を要求する作業であると同時に、果汁を絞る際に、もっと絞ろうなどという欲は出さず、最良の果汁を適切に抽出し、ブドウのよさをピュアに表現することが求められるし、酸化防止剤や樽で、人為的な調節をすれば、なんらかのアラを取り繕いたいのだろう、と見抜かれる。
「私はもともとが農業のスペシャリスト。こういう難しい挑戦こそ、私の経験、技術が活きると思っていますよ」
ニコラ オードベールはさらりと言ってのける。そして、実際にそのワインを飲めば、その腕前は自ずと知れる。それぞれにまったくスタイルのちがう、ローザンセグラとカノンにおいて、畑でブドウがどんな経験をしたのか、そしてそれをどんな風に、彼が将来を見通して栽培し、収穫したのかが目に浮かぶ。名人芸だ。
就任間もないワインが天候に恵まれた2016年であったことは、幸いでしたね、と振ってみると。
「2013年はたしかに、私が手掛けたものではないですし、難しい年ではあった。だからといって、それが劣る、というような単純な話ではないと思います。違った表現ではあっても、2013年もまた、ローザンセグラらしい、カノンらしい、素晴らしいワインです。私達はスタイル、という言葉があまり好きではないんです。あるいは、こう言った方がいいかもしれない。スタイルはいつも同じだ、と。ローザンセグラのスタイル、カノンのスタイル、これが年によって、どんな事情があったにしても、ころころと変わるのは、おかしくないですか? シャネル、といえば、シャネルのスタイルがあるように。そして、現代において、最新鋭のエレガンスや洗練が問われる、というのは、ラグジュアリーブランドの手掛けるものであれば、当然なのです」
伝統があるからこそ、先鋭がある。息の長い投資と、未来への明確なヴィジョン、自分は誰で、今どうあるべきかを常に問い直す謙虚な緊張感なくして、ラグジュアリーブランドはラグジュアリーたり得ない。
「ワインは農業の中でも、最も恵まれたものだと、私は思っています。伝統があり、今、ローザンセグラで、カノンで起きていることを、世界に発信できるのですから。これこそが、文化です」
お金には変えられない価値が、ワインにはある。だからこそ、ラグジュアリーブランドはワインに恋をするのだと、筆者は思う。