かつて日本最大の天守が聳えていた江戸城、家康、秀忠、家光と改修を繰り返したのは威厳を示すためだったのか? 江戸城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/7) 本丸東面の高石垣。写真左奥のあたりは秀忠期に積み直されたようだが、手前側の石垣は家康期の技法をとどめている (画像2/7) 天守台から広大な本丸を眺める。天守の位置は時期によって変遷した (画像3/7) 本丸北面の見事な高石垣。技法から見て秀忠期の改修によるものだろう (画像4/7) 飯田橋駅近くの土塁上から巨大な堀を見る。御茶ノ水駅から飯田橋・市ヶ谷・四ツ谷あたりにかけては巨大な外郭の塁壕がよく残っている (画像5/7) 名古屋城のコンクリ復元天守。御三家の名古屋城では第2次大戦まで天守が残っていた。江戸城天守はどのような姿だったのだろうか (画像6/7) (画像7/7) かつて日本最大の天守が聳えていた江戸城、家康、秀忠、家光と改修を繰り返したのは威厳を示すためだったのか? この写真の記事を読む