大統領の弾劾を求めてソウル中心部に集まった人たち(12月10日、写真:ロイター/アフロ)

「政府には期待していなかったし、政治とも距離を置いてきたが、まさかよりによってこんな時期に・・・」

 韓国での非常戒厳令騒動から1週間。2024年12月9日に会った大企業役員は「呆れてばかりもいられないが、来年は大変だ」と天井を見上げた。

 筆者は、民主化運動が燃え上がり、これを抑え込むために全斗煥(チョン・ドファン)政権が戒厳令宣言を検討したと伝えられた時(1987年)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領、朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領(いずれも当時)の弾劾訴追案が国会で通過した時(2004年と2016年)、ソウルで暮らしていた。

決定的な違い、経済は安泰だった

 いずれの時もソウルの中心部はデモや集会に連日大勢の市民が参加した。

 最近も毎日、国会がある汝矣島(ヨイド)や市内中心部の光化門(クワァンファムン)付近でデモや集会があるが、その規模や熱気は当時の方がずっとすごかった。

 1987年、2004年、2016年には、共通点があった。「経済は安泰」だったことだ。

 1987年の民主化運動の際、韓国はまだ高成長が続いていてこの年は12.7%もの高度経済成長率を記録した。

 盧武鉉大統領の弾劾劇(大統領職に復帰)と、朴槿恵大統領が弾劾されたときは、経済成長牽引役の2本柱が健在だった。

 サムスンと中国だった。

 2000年代前半、IMF(国際通貨基金)危機と呼ばれた通貨危機による経営危機を克服したサムスングループは、半導体事業を核に急成長を続けた。