もうひとつの「シベリア抑留」 1 2 3 「私は日本人だ」カザフスタンの荒野に47年、それでも名前の漢字だけは忘れなかった 【前編】もうひとつの「シベリア抑留」、軍人のみならず民間人を襲った終戦後の悲劇 2024.8.6(火) 石村 博子 フォロー フォロー中 歴史 Tweet この写真の記事へ戻る 1946年に樺太でソ連兵に捕まり、以来、半世紀をシベリア、カザフスタンで過ごした小関吉雄氏(前列左から2人目)。いっしょに写っているのはカザフスタンの子、孫たち(1993年撮影、日本サハリン協会提供) 1946年頃のソ連・外蒙古の地図 ©地図作成/本島一宏 新婚時代の小関吉雄とエカテリーナ(1955年頃、日本サハリン協会提供) 『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(石村博子著、KADOKAWA)