江戸から下総・常陸へ抜ける重要な要衝地、争奪戦の対象となった平城・葛西城 葛西城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/9) 現在は環七通りが城域を東西に二分している (画像2/9) 中川の対岸から見た葛西城の故地。画面右手の中川大橋が国道6号線(水戸街道) (画像3/9) 国道6号線と環七通りが交差する青戸八丁目交差点あたりが城域の北端だったようだ (画像4/9) 青砥七丁目南の交差点付近に南側の外堀があったようだ (画像5/9) 葛西城址公園東側の道。ここに幅18メートルもの堀があった (画像6/9) 御殿山公園内には青砥藤綱城跡の石碑も立つが、藤綱は鎌倉時代の御家人で、その頃にはまだ城はなかった (画像7/9) 現在は説明板や石碑が城跡だったことを伝えるのみだ (画像8/9) (画像9/9) 江戸から下総・常陸へ抜ける重要な要衝地、争奪戦の対象となった平城・葛西城 この写真の記事を読む