1〜 41 42 43 最新 目白御殿炎上、角栄全盛期の「昭和政治の舞台」焼失がなぜこんなに寂しいのか 報道カメラマンが追った田中角栄・眞紀子父娘の軌跡 2024.1.18(木) 橋本 昇 フォロー フォロー中 政治 シェア7 Tweet この写真の記事へ戻る 在りし日の田中角栄邸玄関=東京都文京区。1981年1月撮影(写真:共同通信社) 故田中角栄元首相邸。手前は目白通り=1997年3月、東京都文京区(写真:共同通信社) 火災で焼失した故田中角栄元首相の旧邸宅。実況見分が行われた=1月9日午前、東京都文京区(写真:共同通信社) 角栄氏の退院の報を受けて角栄邸に多数のメディアが集まった。張り込みは24時間体制で1カ月も続いた 拡大画像表示 1987年、病に倒れて以来初めて新潟県西山町(現・柏崎市西山町)に帰郷した田中角栄氏(写真:橋本 昇) 拡大画像表示 西山町の支持者の人々へ顔をみせた角栄氏(写真:橋本 昇) 拡大画像表示 「目白の軍鶏」と呼ばれた田中眞紀子氏の人生を形容すれば唯我独尊、天衣無縫、珍紛漢紛、妖怪変化、疑心暗鬼、四面楚歌といったところか(写真:橋本 昇) 拡大画像表示 小泉政権で外相に指名され官邸へ入る眞紀子氏。まさに絶好調だった(写真:橋本 昇) 拡大画像表示 小泉首相より外相を更迭された眞紀子氏。眞紀子氏は言う。「私なりに頑張ったですけどねぇ…」(写真:橋本 昇) 拡大画像表示 「日本一妻に頭が上がらない夫」とも言われる田中直紀元参院議員(写真:橋本 昇) 拡大画像表示