畠山重忠が北条氏に討たれた二俣川合戦。『吾妻鏡』に記されたいくつかの矛盾 埼玉県の菅谷城跡に立つ畠山重忠像 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/6) 鎌倉若宮大路の傍らに立つ伝畠山重保供養塔。宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる形式である (画像2/6) 相鉄線鶴ヶ峰駅の近くにある二俣川古戦場伝承地 (画像3/6) 鶴ヶ峰を通る鎌倉古道。重忠はこのあたりから二俣川を見渡したはずだ (画像4/6) 二俣川古戦場の近くにある伝畠山重忠首塚。重忠はこの地で無念の最期を遂げた (画像5/6) (画像6/6) 畠山重忠が北条氏に討たれた二俣川合戦。『吾妻鏡』に記されたいくつかの矛盾 この写真の記事を読む