悲劇の姫、大姫を後鳥羽天皇に入内させようとした頼朝の本当の意図 鎌倉殿の時代(23)大姫入内問題の核心 2022.6.13(月) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア4 Tweet この写真の記事へ戻る 京都御所 撮影/西股 総生(以下同) 「武者鑑名人相合南伝二 大姫君」 京都御所の清涼殿。平安・鎌倉時代には、摂関家などの貴族の私邸に御所が置かれることが多かった。現在見る御所の建物は江戸時代のもの。 後鳥羽院像 鎌倉の永福寺(ようふくじ)跡。頼朝は内乱の戦没者を供養するために鎌倉に壮大な寺院を建立した