ついに始動?平家打倒に向け源頼朝が企てた計画とは 鎌倉殿への道(5)8月4日、頼朝、山木兼隆襲撃を企てる 2021.8.4(水) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア7 Tweet この写真の記事へ戻る 蛭ヶ小島伝承地に立つ頼朝と政子の像。ただし、挙兵時の頼朝の屋敷は、この場所ではなかった可能性が高い。撮影/西股 総生(以下同) 鎌倉にある源義朝の屋敷跡。義朝は鎌倉に居を据えて関東の武士たちを従えたものの、平治の乱で敗死すると彼らの多くは平家方になびくようになった。撮影/西股 総生 画面中央が蛭ヶ小島伝承地。背後に見える山は戦国時代の韮山城砦群だが、この山の麓のあたりに山木兼隆の屋敷があった。