蒲生氏郷、佐々成政ら有力大名が異動になった真相
駿府城(静岡県)に立つ徳川家康像。東海地方を領していた家康は、秀吉の命により関東へと転封されるが、関ヶ原合戦で勝利したのち駿府城を築き直し、ここを拠点に豊臣氏を滅ぼすことになる。撮影/西股 総生
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江戸城本丸の石垣と堀。戦国時代には土造りだった江戸城を、家康は少しずつ本格的な石垣造りの城へと築き直し、大都市東京の基礎を作り上げた。撮影/西股 総生
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素晴らしい石垣が見所の松坂城(三重県)。蒲生氏郷は秀吉に見込まれて伊勢松坂に封じられ、この城を築いた。写真:PIXTA
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鶴ヶ城とも呼ばれる会津若松城(福島県)。氏郷が近世城郭に改造し、城下町を整備した。現在の天守は1965年に再建された鉄筋コンクリート造。写真:PIXTA
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山形県上山市にある出羽中山城。蒲生氏郷が最上氏に対する最前線として築いた城。会津に入った氏郷は、広大な新領地の要所要所に支城を築いて、伊達氏や最上氏に備えた。撮影/西股 総生
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佐々成政は肥後国衆の蜂起を自力では鎮圧できず、秀吉は近隣の諸大名に討伐を命じた。写真の肥後田中城(熊本県)は、このときの激戦地で、安国寺恵瓊・小早川秀包・立花宗茂・鍋島直茂らが包囲攻撃した。撮影/西股 総生
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蒲生氏郷、佐々成政ら有力大名が異動になった真相
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