荷が重すぎて命を縮める「満鉄総裁」という仕事 “国策”のもとに作られた組織はなぜ暴走を始めたのか(前編) 2019.8.2(金) 加藤 聖文 フォロー フォロー中 政治 本 歴史 シェア25 Tweet この写真の記事へ戻る 1940年頃の大連・南満洲鉄道株式会社本社。1941年南満洲鉄道株式会社編集・発行のパンフレット「大連」より(Wikimedia) 満鉄初代総裁・後藤新平(Wikipediaより) いわゆる「調査部」も後藤によってつくられた 北平の陸海空軍副司令行営に到着直後の張学良(中央、Wikipediaより) 『満鉄全史 「国策会社」の全貌』(加藤聖文著、講談社)