⑪【藤原長家 源倫子の養子】(道長の六男/明子の四男)

 寛弘2年(1005)~康平7年(1064) 享年60

 道長40歳、明子41歳の時の子であるが、源倫子の養子となった。

 同母兄の藤原能信と同じく、権大納言に留まった。

 勅撰集『千載和歌集』の編纂をした藤原俊成は曽孫で、俊成の子・藤原定家は『新古今和歌集』の撰者として知られる。

 

⑫【藤原嬉子 19歳で薨去した、後冷泉天皇の母】(道長の六女/倫子の四女)

 寛弘4年(1007)~万寿2年(1025) 享年19

 道長42歳、倫子44歳の時に生まれた二人の末子である。

 治安元年(1021)、同母兄・藤原頼通の養女として、皇太子・敦良親王(同母姉・彰子の第二子/のちの後朱雀天皇)のもとに参入した。

 嬉子15歳、敦良親王13歳の時のことである。

 嬉子は病が治りきらないまま、万寿2年(1025)8月3日に、親仁親王(後の後冷泉天皇)を出産し、父・道長を歓喜させたが、二日後の8月5日に亡くなった。

 残された親仁親王は彰子に迎えられ、紫式部の娘・南沙良が演じる藤原賢子が、乳母として養育にあたることとなる。