「滑ること」、それ自体が圧巻
通常のアイスショーにあるスケーター紹介などのアナウンスなく、途切れる場面を作らずスケーターたちの滑走は続いた。例えば櫛田一樹のスピードスケートとみまがうような高速の周回のように、疾走感が失せることはなかった。オープニングで皆が着用したロングコートがはためくのも、スピード感を目に見える形で伝えるのに効果的だった。「滑ること」、それ自体が圧巻であった。また東西南北、どこで見ていても観客を置き去りにしない、そんな構成と演出も特筆される。高橋の演出力を、あるいは鈴木の振り付けの力を思わせた一要素でもある。
「滑走屋」は全体練習に7日間をあてた。それ以前から、例えば振り付けを動画でおくって練習してもらったり、準備は進められてきた。通常のアイスショーはおおよそ2、3日程度の準備であるのと比べれば、時間をかけて公演に臨んだ。
とはいえ、体現された動きや踊りの複雑さを考えれば十分な時間があったわけではない。また、アンサンブルスケーターのほとんどはアイスショーが初めてでもある。
難易度の高い挑戦に加え、開幕を前に、あるいは開幕後、体調不良で出演をキャンセルするスケーターも複数名出た。そのたびに緊張や不安に揺さぶられもしただろう。でも、彼らはやりきった。ショーを成り立たせた。そこには間違いなく成長があったはずだ。手ごたえと自信ともなっただろう。「滑走屋」は若きスケーターたちのこれからを育む場であったことも思わせる。
スケーターたちが、スタッフたちが同じゴールを目指す中心に、高橋がいた。参加したスケーターたちは、高橋が憧れの存在であったことを明かしている。一緒に練習する中でなにがしかを学び、そして学ぼうとも努めていた。
大島光翔は公開練習で語った。
「画面越しとは違った高橋大輔さんを知れて、誰よりもストイックですし、誰よりもスケートに関しては妥協がないというか、その気持ちに負けないように自分もついていかなきゃなと臨んでいます」
三宅咲綺は言った。
「私は初めてスケートをしたのが高橋大輔さん出身のヘルスピア倉敷のリンクなんですけど、そこで初めてアイスショーを見て、大輔さんの演技に『スケートはこういうものなんだ』というすごく魅せる演技で、自分がこのアイスショーを終わった後にそういう風になりたいなっていう思いでいます」
松岡隼矢は開幕前日にこう話した。
「(高橋のイメージを)もう少し怖そう、と思っていましたが、違ったところを丁寧に、自分の体を動かして教えてくれて分かりやすいですし……でも踊りがうますぎて真似できないです」
高橋はソロとして新プログラム『Flame to the Moth』をはじめ、ショーの随所随所で輝きを放った。立ち姿1つとっても、それは高橋ならではであった。
プロデューサーとして、出演者として立ち上げから最後まで駆け抜けた。高橋はとびっきりのエンターテインメント作品を創り上げ、フィギュアスケートの新たな方向性を示してみせた。切り拓いてみせた。それが「滑走屋」だった。
どこまでも晴れやかな笑顔が、物語っていた。