道兼は顔色が悪く、毛深い?
藤原道兼は、応和元年(961)に生まれた。
弟の道長より5歳年上である。
『栄花物語』巻第三「さまざまのよろこび」では、道兼の外見について、「顔色が悪く、毛深く、ことのほか醜い」と称している。
気性については、「大変に老成していて男らしい」としつつ、「何となく恐ろしく感じるほど、意地悪く口やかましい」と記されている。
また、長幼の序(年長者と年少者の間の守るべき秩序)を破り、兄の藤原道隆に意見したという。
花山天皇を欺いた?
寛和2年(986)6月、本郷奏多が演じる花山天皇(968~1008 在位984~986)は、宮中を抜け出し、突然に出家した。
代わって、一条天皇が7歳で即位。
一条天皇の外祖父である、段田安則が演じる藤原兼家が摂政となるという、政変劇が起こった(寛和の変)。
一般に、これは一条天皇の即位を急ぐ藤原兼家が、道兼ら息子たちと図り、花山天皇を出家に追い込んだとみられている。
『大鏡』では、このとき道兼は、「自分も一緒に出家し、弟子となって仕える」と約束して信用させ、宮中から密かに脱出した花山天皇を出家へ導いている。