開国の元勲

 異例の出世コースを駆け上がってきた直政であるが、やがて、体調に問題を抱えるようになる。

 慶長5年(1600)7月には、外出もままならない状態だったという(野田浩子『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』)。

 それでも、同年9月の「関ケ原の戦い」に出陣した。

 関ケ原の戦いでは銃撃を受け、傷を負ったものの、合戦後は、戦後処理に奔走。論功行賞で、佐和山(滋賀県彦根市)に18万石の領地を授かった。

 しかし、合戦から2年後の慶長7年(1602)2月1日、佐和山城にて、42歳で亡くなっている。

 もともとの体調不良に加え、合戦で負った傷が癒えぬままでの激務が、その死の要因とみられている(野田浩子『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』)。

 直政は「開国の元勲」と称されている。

 まさに粉骨砕身、家康の天下取りを支えた直政に、ふさわしい言葉である。

 

井伊直政ゆかりの地

●龍潭寺

龍潭寺

 静岡県浜松市にある井伊家の菩提寺。

 境内には、井伊家墓所の他、井伊家歴代当主の位牌を祀る「井伊家御霊屋」には、井伊家の始祖・井伊共保、井伊直盛、井伊直親、井伊直政の木像が安置されている。