赤鬼
直政率いる井伊隊が初めて敵と戦ったのは、天正12年(1584)に起きた小牧・長久手の戦いである。
家康と浜野謙太が演じた織田信雄(信長の二男)が結んで、羽柴秀吉と対決したこの戦いにおいて、井伊隊は秀吉方の大将・徳重聡が演じた池田恒興や、城田優が演じた森長可を討ち取り、家康方は大勝利を収めた。
井伊隊はその名を一躍、轟かせ、秀吉方の武士たちから「赤鬼」と称されたという。
だが、戦い全体としては秀吉方が優勢であり、小牧・長久手の戦いは和睦をもって終結。
その後、ドラマでも描かれたように、天正14年(1586)5月、家康は秀吉の妹・山田真歩演じる旭と結婚した。
秀吉は家康に上洛を求め、母親である大政所(ドラマでは高畑淳子演じる仲)を、上洛中の人質として、三河に送った。
同年10月に大政所は岡崎城に入り、家康は上洛して秀吉に出仕した。
このとき、岡崎城に滞在する大政所の警固を勤めたのが、直政と、「鬼の作左」とあだ名されたと伝わる本多重次(通称 作左衛門尉)だったという(『寛政重修諸家譜』)。
直政は大政所やその女中たちから、大変に気に入られたという逸話が残っている。
徳川家臣団のトップに
家康が豊臣政権に従属すると、直政は秀吉の執奏により、従五位下・侍従となった。これは、徳川家中で家康に次ぐものである(文禄2年10月、従四位下に昇進)。
天正18年(1590)の小田原合戦で、戦国大名としての北条氏が滅びると、家康は秀吉から、北条氏の旧領である関東への転封を命じられた。
秀吉の指示もあり、直政は上野国箕輪(群馬県高崎市)に12万石の領地が与えられた。
これは、この時点の徳川家臣団において、最高の石高であった。ちなみに、本多忠勝と榊原康政が得た領地は、それぞれ10万石である。