謎が多い壮大な祭壇画

《ヘントの祭壇画》日曜祝日面(開翼時) 1432年 油彩・板 375×520cm ヘント、聖バーフ大聖堂

 なんと言ってもヤン・ファン・エイクの名を有名にした初期の出世作は《ヘントの祭壇画》でしょう。祭壇画はベルギー北西部、東フランドル州の都市ヘントのシント・バーフ大聖堂にあります。ヘントは中世に毛織物工業で繁栄した商工業都市で、鉄鋼・繊維工業が盛んでした。

 祭壇画は12枚の樫材で構成されている開閉式のもので、高さは375cm、開いた状態の幅は517cmという、北方最大のものです。イタリアの祭壇画は開閉式ではないのですが、北方はこのような扉が折れて閉じられるようになっています。

 通常は閉じられた状態で、日曜日や祝日など特別な日に開きます。そのため閉じられている状態は平日面(閉翼時)、開いた状態は日曜祝日面(開扉時)と呼ばれます。

《ヘントの祭壇画》平日面(閉翼時) 1432年 油彩・板 375×260cm ヘント、聖バーフ大聖堂

 祭壇画は偶像破壊(イコノクラムス)や戦禍、火災などで何回も移動したり解体されたりしながら、幸運にも1枚のパネルを除いて元の場所に戻されました。しかし、パネルのサイズが不揃いだったり、上下の人物の大きさや見る者からの視角が違ったりしています。これらは解体の際に生じたものなのか、当初からの意図だったのかは不明です。

 近年、ベルギーの学者によって、もともと下に基台、上段と下段の間に聖体を収める聖龕(せいがん)、上には天蓋のある建造物として構想されていたという想像図が発表されましたが、まだ確かな説ではありません。

 この祭壇画にはたくさんの文字が書かれています。閉じた扉の額縁の下部に書かれている四行連句の銘文には「何人(なんぴと)も彼にまさることなき画家フーベルト・ファン・エイクは(この作品に)着手し、技倆において彼に次ぐ弟のヤンが、ヨース・フェイトの要請によって、この任重き仕事を完成した。5月6日、フェイトはこの詩句によって、出現したものを気遣われんことを貴下に乞い願う。1432年」(黒江光彦氏の訳による。以下同)とあります。

《ヘントの祭壇画》最大の謎は、弟ヤンよりも優れていると銘文にある兄フーベルトの存在です。フーベルトは祭壇完成の6年前の1426年に亡くなっていることはわかっていますが、祭壇画以外の作品や祭壇画のどの部分を担当したかなどの詳細はわかっていません。

 研究者たちはこれらの点を盛んに論じ、それによってわかってきたことは、まずフーベルトが1424年(もしくは1422年)からその死の1426年までに構想と制作をして、そのあと1426年から1432年の完成までヤンが後を引き継いで制作したのだろうということです。その間にヤンはブルッヘに住んで結婚もしたため、ブルッヘからヘントまで通ったか、分割したパネルを持ち帰って制作したのでは、と考えられています。

 また、現段階の研究ではフーベルトが制作したと見られるパネルは6パネルだとされています。絵具材料の断面図の化学的調査による分析では、フーベルトの制作とされている中央パネルと翼部に大きな相違がなかったことから、完成を任されたヤンがかなり手を入れて調整したことが想像できます。

 次回、祭壇画についていっしょに詳しく鑑賞していきましょう。

 

参考文献:
『名画への旅 第9巻 北方に花ひらく 北方ルネサンスⅠ』高野禎子・小林典子・小池寿子・西野嘉章・高橋達史・神原正明/監修(講談社)
『西洋絵画の巨匠12 ファン・エイク』元木幸一/著(小学館)
『西洋美術の歴史5 ルネサンスII 北方の覚醒、自意識と自然表現』秋山聰・小佐野重利・北澤洋子・小池寿子・小林典子/著 (中央公論新社)
『ファン・エイク全作品』前川誠郎/編著(中央公論新社)
『名画の読解力』田中久美子/監修(エムディエヌコーポレーション) 他