画家の生涯と、初期作品に見る突出した才能

 ヤン・ファン・エイクとその兄フーベルトについて、詳しいことは伝わっていません。フーベルトは1370年頃、ヤンは1390年頃に生まれ、出生地は現在のベルギーのリンブルフ地方、マース川沿いの町マーセイクだとされていますが、確かではありません。どこで絵の修業をしたのかも不明です。ふたりが創作した時期は、イタリアでいうとマザッチョらが活躍した、まさに初期のルネサンスの時期と重なります。

 1422年、ヤンはホラント伯ジャン・ド・バヴェニール、1425年にはブルゴーニュ公フィリップ善良公の宮廷画家になったことは記録に残っています。

 1426年、兄フーベルトは《ヘントの祭壇画》制作中に亡くなり、ヤンによって1432年に祭壇画は完成します。その後ヤンは、ベルギー北西部フランドル州の都市ブルッヘで、真作と認められている約20点の作品を仕上げ、1441年に亡くなったことがわかっています。

 ヤンの画家人生は《ヘントの祭壇画》から始まったと長年伝えられてきましたが、最近の研究で、その出発点は写本画家だったという説が有力になっています。画家としてのルーツを探る手がかりが、写本『トリノ=ミラノ時禱書』(1420-25年頃)と、板絵「ニューヨーク二連画」(1420年代半ば〜30年)にあります。

画家G『トリノ=ミラノ時禱書』「洗礼者ヨハネの誕生」1420-25年頃 彩色写本 羊皮紙 28×20cm トリノ、トリノ市立美術館

『トリノ=ミラノ時禱書』は、1380年頃からベリー公ジャン1世によって制作が始まり、一部は『ベリー公のいとも美しき聖母時祷書』と分割されながら、最終的に未完成に終わった装飾写本の分冊です。

画家G『トリノ=ミラノ時禱書』「洗礼者ヨハネの誕生」(キリスト洗礼)(部分) 1420-25年頃 彩色写本 羊皮紙 トリノ、トリノ市立美術館

 11人の絵師による細密画の挿絵があり、研究史上「画家G」と名付けられた画家の5作品は、15世紀最初のレアリスム表現とされています。そしてこの「画家G」こそ、ヤン・ファン・エイクであるということが研究者の間での合意が進んでいます。

「洗礼者ヨハネの誕生では、見る者に視線を送る猫など、絵画的仕掛けの始まりも見られます。下部に描かれているキリスト洗礼の場面は、広大な風景、場面の臨場感、水面から立ち上る気泡や遠景の山に飛ぶ鳥などのミクロの描写という、ヤン・ファン・エイクの特徴である描写がすでに使われています。同時代の写本画家と比べると圧倒的な技量と先進性があることから、画家Gはヤン・ファン・エイクであることは間違いないでしょう。

 当時の写本はとても重要で、パトロンたちが依頼して制作した黄金時代でした。写本で修業を積み、《ヘントの祭壇画》で板絵の油彩画が花開いていったのだろうと考えられます。

「ニューヨーク二連画」(1420年代半ば-30年頃)と呼ばれる《十字架磔刑》と《最後の審判》の板絵でも、『トリノ=ミラノ時禱書』と近い技法が見受けられます。《十字架磔刑》ではイエスの磔場面が、聖書の記述や図像学的にも正しく描写されています。

「ニューヨーク二連画」1420年代半ば-30年頃 油彩・カンヴァス(板から移行) 各56.5×19.7cm ニューヨーク、メトロポリタン美術館

 また、兵士の兜には周りの人々の衣服や槍が映り込み、後ろ向きの見物人が腰にぶら下げている盾にも周りの人物が映るなど、画家の特徴である細部の表現が施されています。

 これらにより初期の段階で、類稀な才能を発揮していることが解明されつつあります。