健康になったのは、お灸と植物のお陰?

 浪子が最も懸念したのは、富太郎の健康であっただろう。

 94歳9ヶ月の長寿を誇り、晩年近くまで植物を求めて山野を駆け回った富太郎であるが、意外なことに、ドラマの万太郎と同じく、幼少期は大変に体が弱かった。

「西洋のハタットウ(バッタの方言)」と友人たちからからかわれるほど、痩せこけ、手足が細長かったという。

 なお、ハタットウの前に「西洋の」が付いたのは、富太郎の風貌がどことなく西洋人めいていたからだ。

 浪子は孫の体を心配し、赤ガエルを食べさせたり、灸を据えさせたりした。

 富太郎の娘・鶴代によれば、この灸により丈夫になったのではないかと、富太郎は語ったという。

 富太郎自身は自叙伝で、「幼い頃から草木が大好きで、草木を追って山野を歩き回ったのが良い運動になり健康になった」と述べている。

 いずれにせよ、富太郎は段々と健康になり、やがて医者も驚くほどの生命力で、植物の研究に打ち込むのであった。

 

早くから英語を学ぶ

 富太郎は明治5年(1872)、10歳の年に、土居謙護が教える寺子屋に入り、習字を学んだ。

 当時の佐川にはまだ、小学校はなかったのだ。

 翌明治6年(1873)、富太郎は佐川で名の知れた学者である伊藤徳裕(号は「蘭林」)の私塾に移り、佐川の領主・深尾氏の家塾として始まった名教館にも通うようになった。

 伊藤蘭林は、寺脇康文が演じた池田蘭光のモデルと思われる。

 伊藤の塾では習字や算術にくわえ漢学を、名教館では物理学、天文学、世界地理、人身生理学など、当時の最も先端的な学問を習っている。

 これらの知識は後年、富太郎の植物研究の土台となったことだろう。

 英語を学びはじめたのも、このころだと思われる。

 当時、佐川村の有志が高知から教師を招聘して開いた英会話学校があり、富太郎はそこで、熱心に英語を習った。

 富太郎がのちに原書をそのまま読み、英語で論文を発表することもできたのも、早くから英語に触れ、身につけたからだろう。