武士としての活躍
半蔵は7歳のときに寺に入ったが、10歳のときに逃げ出したと伝えられる。
『寛政重修諸家譜』によれば、16歳のとき、三河国の西郡宇土城の夜討ちに際して、60~70人の伊賀の忍びを率いて城内に侵入。
戦功をあげ、家康から恩賞に持槍を賜ったという。
これが半蔵の初陣とされるが、半蔵の初陣に関しては諸説がある。
また、元亀元年(1570)に起きた、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が戦った「姉川の戦い」や、家康が阿部寛演じる武田信玄に大敗を喫した「三方ヶ原の戦い」などでも活躍したとされる。
鬼半蔵の涙
鬼と呼ばれた半蔵が、ただ涙を流すばかりであったと伝わるのが、「信康事件」である。
信康とは家康の長男だ。ドラマでは細田佳央太(幼少期は寺嶋眞)が演じる。
家康は天正7年(1579)、有村架純演じる正室の築山殿(ドラマでは瀬名)を殺害させ、嫡男であった信康を自刃に追い込んでいる(信康事件)。
信康は二俣城(静岡県浜松市)で切腹したが、このとき家康は半蔵と天方道興を二俣城に遣わしている。
半蔵は信康の介錯役を命じられたが、信康が切腹しても、その首を刎ねるのはしのびなく、ただ涙を流すだけであった。
そのため天方通興が、半蔵に代わって介錯を務めた。
これを聞いた家康は、「鬼といわれた半蔵も、信康の首は打てなかったか」と言ったという。